性犯罪を無くすためには知能と本能を分断させる必要がある

性犯罪 本能 なくす 社会問題
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発達した脳が本能を暴走させることがある

 

先天的にあるのが本能、後天的に得たものが知能と理性

 

痴漢、強姦といった性犯罪は世界から消えることはなく、女性や子供を中心とした社会的弱者と呼ばれる人々の人生を脅かしています。

 

職場や学校といった生活の場でも、性的いやがらせ(セクハラ)による被害を受けることもあり、心安らぐ場がなく毎日悩み、苦しんでいる人がいます。

 

そもそもなぜ、男性を中心とした性的暴力や暴言による被害が頻発するのでしょうか。

 

男性には、生殖を行い、子孫を残すために、戦いを中心として生きることが許された〝男〟として生きるために培ってきた歴史があります。

 

人に限らず、全ての地球上に生きる種は、子孫を残し、受け継いでいくことが遺伝子の中にプログラムされています。

 

歴史の流れ、自然の変化に沿って形を変え、変化し続けながら生き残る手段を探りながら進化する動物たちの中には、しかし失敗して絶滅していった種も少なくありません。

 

まだ人が原始的な生活をしていた頃には、人生は明日あるかどうかも知れない予測のできない世界でした。人は、その日の食料を必死で求め、性行為をして子孫を増やし、遺伝子の中に刻まれた地球の意志か、宇宙の意志ともいえる『命を繋ぐ』という行為を実行して生きてきました。

 

そうした生き残りをかけた戦いの中で、人間は、身体の中のある一つの器官を大きく発展させていくのですが、それこそが脳でした。

 

脳が発展したことで、人は認知能力や言語能力を高めていき、これまで地球上には存在しなかった文化を築き上げることになったのです。

 

こうして、後天的に得た能力の上に作られたのが今ある社会であり、文化なのですが、現代社会では、先天的に与えられている本能と呼ぶ能力と、後天的にできたと言われる理性や知能の間で、今を生きる人間の多くが苦しんでいます。

 

本能から発展したのが男性優位社会

 

歴史に学べとはよく言われる言葉ですが、人類の歴史は決して穏やかで平和なものではありません。

 

人々が定住を選んでからは、土地を奪い合い、食料を奪い合う争いが続き、集団をまとめるために生まれた権力が次ぎの争いの種となり、大きな戦争に繋がる歴史を作ってきました。

 

道徳や倫理が発展途上にあり、平和な世界の実現のためには罰則を与える法律が必要な今の世界では、まだ「脳」が発達した後に築かれた、人間の文明が未熟であることを示しているとも言えます。

 

戦争をするのは主に男性です。男性には人類が今の姿になるより以前から受け継がれている、身を守り、家族を守るための攻撃性があります。

 

野生の動物たちがそうであるように、一動物である人間の男性には、発情すれば近くにいる雌に惹き付けられ、積極的に性行為を求めようとする衝動があってもおかしくはありません。

 

実際、少し時代を遡れば、今ではDV、性犯罪といわれる行為が、当然のものとして女性にも受け入れられていた時代がありました。

 

筋力が強さの象徴であった時代から、権力が強さの象徴となった今に至るまで、ずっと男性優位の世界が築かれてきていますが、元々男性に備わっている攻撃性を考えればそれはごく自然なことで、争うより、今ある世界を受け入れて生きていこうとする女性の特性も、そこには表れています。

 

しかし、道徳や倫理が発展している今、男性優位社会を男性ですら受け入れられない時代がやってきました。

 

男性の中にも生まれ持った男性性からの解放を願う人々が誕生し始めていること、また、女性が、男性優位社会を受け入れて生きていくという姿勢に待ったをかけ始めたことで、社会の中で、先天的な男性としての本能を振りかざす人間が嫌悪されるようになってきました。

 

セクハラが問題視されるようになるまでは、男性の中にはセクハラになるとも感じずに、本能に従い、またはただ深く考えもせずに女性の性的な事柄について発言をしたり、気軽に身体に触れたりしていた人がいたはずです。

 

今でも、ほんの少し身体に触るくらいのことが、または、性的な発言をすることがなぜいけないことなのか分かっていない人は多いのです。

本能と欲望を混同してはいけない

 

人間の本能だから。人間は、動物だから。そうした言い訳を持ち出してしまえる人は、まだ、後天的に出来た人間社会に適合するだけの能力が育っていないと言えます。

 

人間が自然に生殖活動を行える期間は限られています。

 

しかし、高齢化が進む今の社会では、生殖活動に関わることなく文明を育む「人間」として生きていく時間が長くなりました。

 

すると、男性であることや女性であること、または性別そのものの概念に囚われずに、人として何をして、どう生きるかが問われるようになります。

 

こうした変化は、身近な世界の中で少しずつ起こってきていることですが、本能としての性欲や攻撃性に支配されることで、男性としての自分にばかり目を向けてしまう人がいるのも事実です。

 

ここで注意したいのは、本能として持つ性欲や攻撃性が、即座にDVや性犯罪に結びついているのかというと、そうではないということです。

 

本能として持つ性欲や攻撃性は、あくまで自分自身が持つ性的欲求や、支配欲の存在に気付くきっかけでしかありません。

 

性的欲求や支配欲に囚われ、性犯罪や暴力に走ってしまう元の原因には、むしろ、後天的に発達した人間としての性質が関係しています。

 

一般的な教育を受けてきた人の場合、性犯罪や暴力が罪であることは認識しているはずです。その場合、罪と知っていてもそうした行為をしてしまうということは、社会的には不適合者と言えます。

 

現在の世界では、社会不適合者は社会から排除される可能性があります。本能だけで、社会のルールを破ると、かつては「生き延びるための男性性」であった能力を、命を縮めるために使うことになるのです。

 

サーベルタイガーが獲物を捕らえるために伸ばした牙のせいで絶滅したと言われるように、人間が、発達した脳のせいで絶滅に向かっていると言われる、一つの例とも言えるでしょう。

 

性犯罪者や、支配欲から暴力行為を行う人間は、生き延びるために人類が培ってきた男性性を、犯罪の言い訳にしています。

 

平和を求める世界で、人類が命を脅かされずに明日を生き延びることを約束する社会が出来上がっている今では、倫理と道徳を重んじ、人を傷つけずに生きていくことこそが、本能に従うって生きるという意味になります。

 

つまり、本能自体が変わりつつあるということです。

 

強い性的嗜好や、抑えられない衝動は、かつて生み出された本能と、人間として生きる上で身につけた知識との融合です。決して過去の動物としての本能だけで成り立っている訳ではありません。

 

本能と知能を区別し、性犯罪を止めることはできるか

 

性犯罪を行う人間の中には、綿密に計画を立て、必要以上に相手を追い込む人がいます。DVを行う人間の中には、暴力行為の後には泣いて必死で謝る人もいます。

 

これらの行動は、本能だけでは言い訳できないもので、そこには学習から得た知識や知恵と組み合わされ、熟成された人間としての欲望があります。

 

性犯罪や支配に基づく暴力行為、最近では女性も加害者となることのあるモラハラなどは、自分の意識の改革によって留めることができる可能性のあるものです。

 

電車で痴漢行為をしてしまう危険を感じたら、電車に乗らない選択ができるように転職まで考える必要があります。

 

ストレスを感じている時、そのはけ口として性犯罪のことが頭を占めてしまうのならば、ストレスとなっている原因を取り除くように努めつつ、相手の立場に立って考えられる、冷静で、倫理的で道徳観念のあるもう一人の自分を作り上げるよう努力する必要があります。

 

女性が加害者で、男性が被害者という事例も出て来ていいますが、相手が不快な思いをしているにも関わらず、権力を盾に行為を迫れば、女性も加害者となります。

 

男性優位の社会の中で、わずかながら女性が権力を持つ場が出て来た今、こうした女性による男性への犯罪が起こることは、女性であっても支配欲に囚われることがあるという証明でもあります。

 

男女関係なく、性別や性的嗜好も関係なく、相手が傷つくような行為はしてはいけないということを心で理解できるようになることが、今、求められていることです。

 

人間として生きるためには倫理観を育てる

 

ファッションは自由だ、と言いますが、男女共に、露出の激しい服装は、第三者に不快な思いをさせてしまうことがあります。

 

しかしこれは、大変難しい議論です。なぜなら、好きな服を着る自由を害することは、服を着る立場の人間を傷つけることになりますが、服を目にすることで不快な思いをする人間もまた、傷ついているからです。

 

こうした、立場を変えればどちらも被害者、加害者となる事例もありますが、明らかな犯罪行為の場合には、被害者は被害者であり、加害者は加害者でしかありません。

 

不快な思いをする場には近寄らない、危険は避けるといった最低限の安全を守るための手段は大切ですが、避けても追いかけてくるような犯罪はこの世界から消し去るよう努めなくてはなりません。

 

そのためにも、倫理と道徳については誰もが心に留める必要があります。

 

倫理感や道徳を発展させるということは、相手に対してしてはいけないことを知るのではなく、ある人が行う行動や言動が、相手を傷つけてしまはないかといった配慮ができるように知能も感覚も育てることです。

 

相手の感情に寄り添い、自分がされたらどう感じるか。または、弱者であるとはどういうことかを想像する力を育て、知識としても、感情としても、男性と女性の差、個体としての差を認識できるようにしなくてはいけません。

 

性犯罪は、本能が原因で無くせないものではないのです。

 

知能や理性こそが、本能を暴走させる原因なのだとしたら、私たちは知能や理性を後発的に育て、高める教育を考える必要があります。

 

人間が、地球や宇宙の意志としての命の継続を超えて、人間としてしか歩めない新しい世界を築き上げている今、人間として生きていくための世界を創造する立場にある私たちは、この世界の一員であることに対しての誇りと責任を持ちたいものです。

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