繊細で敏感な人ほど、人を疲れさせる神経質な人に振り回されやすい
神経の細かい人には繊細で良心的な人と神経質で自己中心的な人がいる
誰かが困っている様子や不満に感じている様子をすぐに察知し、その原因と対処法を短時間に発見することができる人は、困っている人を見ると先回りして手助けしてしまいがちです。
こうした繊細で敏感な人は、周囲の人には「いい人」と認識されることが多いですが、いい人ならではのトラブルを抱えやすくなります。
一方で、モラハラ気質の人にも繊細な人が多く、「自称繊細」である人も含めて、自分が他人よりよく気づき、そのせいで疲れてしまうと感じている人は割と多いものです。そして、自分は繊細だと感じる人の中には、「だから自分は可哀そう。自分は優遇されるべき」という考えに至る人もいます。
「神経が細かい」と言うと、神経質でイライラ、ピリピリしている時間が多い人という印象がありますが、一方で、「繊細な人」というと、優しいけれど優しすぎて疲れて自分を責めてしまうような人という印象があります。どちらも神経が細かく、繊細であることには変わりはないのですが、繊細さによって「気づいた」ことに対して他人のためにすぐに動いて助ける人か、「気づいた」ことに対して自分の利益にならないことには苛立ちを覚える人かによって、良い人であるかどうかは異なります。
自分が敵と判断するもの、自分に害を与えそうなものには敏感だという人は、良心的な繊細な人ではなく、自己中心的な繊細な人です。音や物の配置、人のいつもと違う様子に気付く時、それを「邪魔だ」「不快だ」と判断するタイプの敏感な人は、良心的な繊細な人とは言えないでしょう。
人に合わせてしまうタイプの繊細な人は、「人の役にたつことをしなくては」と思う、責任感の強い繊細な人です。責任感のある繊細な人は、相手の利益になることを先に気付いて行動し、自分の仕事を増やしてしまい、いずれは気づくことによるストレスをため込んでしまうのですが、それでも笑顔で耐えようとする人です。
一方で、人に合わせてもらおうとする繊細な人は、「自分の害になることを排除したい」と思う、感覚が敏感な人です。周囲の人みんなが自分にとって都合の良い人間になれば良いと思っているタイプの敏感な人は、小さなことでイラつき、眉をひそめ、文句を言ったり、威圧的な態度を取ったりします。こうした人は、周囲に不満や不快を分かりやすく発します。自分が気に入らない音、言葉、態度に対して敏感で、すぐに怒り出したり、わざと相手を無視するような人は、モラハラ気質にいなりやすく、さらに、良心的に繊細な人を見つけると、繊細な人の気づく力を、自分だけのために使わせようとします。
どちらのタイプにしても、「気づいてしまうこと」から逃れることはできません。時とともに強化されていく敏感なセンサーは、メガネやコンタクトを調整して視力をわざと落とす、周囲の情報を視界に入れないようにする、マスクをする、耳をふさぐといった行為でしか防ぐことはできず、見えてしまえば気づくし、聞こえてしまえば考えてしまうものです。
また、イヤホンをしたり、サングラスをすることで情報を防ごうと考えても、責任感が強く良心的な人ほどに、必要な情報まで排除してしまうのではないかと不安でそうした防衛行為ができない場合もあります。
だからこそ、「気づく」事そのものを無くすのではなく、「気づいたこと」に反応しないことを覚える必要があります。気づいても、自分が手出しする必要がないと思えば、気づかなかったことにするのです。
中には、「気づいていたなら手伝って」というタイプの人もいますが、自分で「ここは気づいていても助ける余裕がないから助けない」と決めたのなら、気づかなかったという姿勢を崩してはいけません。
「気付いたこと=処理しなくてはならないこと」ではないことに注意しよう
繊細で敏感な人は、音や視界に入るものといった目や耳で捉える情報や、人の温度や風の動きによる気配を感じやすく「いつもと違うこと」に気付きやすいのですが、さらに、気づいてしまうとそれに反応しなくては、と考えてしまう真面目な人がたくさんいます。
視界に入っている人が「必要としていること」が見えてしまうと、それを代わりにやってあげた方が良いだろうかと悩んだり、悩んだ上で手伝ってあげると、そのせいで自分の時間が無くなり、自分の時間配分が狂うことで疲れてしまうことがあります。
繊細で敏感な人は、あくまで「気づく」能力に長けてはいますが、「助けてあげること」が喜びであるとは限りません。どちらかというと、助ける義務を感じてしまうタイプです。そのため、目に入ったから、と他人の手伝いをしたり、本来は相手がやるべきことを「知ってしまったから」代わりにやっていると、心の奥底では、「なんでこんなこと自分がやらなきゃいけないんだろう」と考えるようになり、ストレスを感じます。
周囲の変化に気づくことは、周囲の情報を把握し、自分にとってベストな動きを掴むためには重要な能力です。例えば、営業、接客、秘書、探偵といった、人に対する気づきを上手に利用して利益を出すことに繋げる職業などはには、繊細であること、敏感であることが大いに役立ちます。また、細かいところまで配慮が必要な資料作成や、センスが求められる仕事、音楽や芸術といった分野でも、敏感さや繊細さは役に立ちます。
ただ、繊細さや敏感さは、「脳を酷使」する生き方です。エネルギーの消費が激しく、疲れやすくなるのは当然なのです。そのため、静かな場所で、情報が限られた生活をしている方が性にあっている場合もあります。
目や耳、触覚などから仕入れた情報を器用に無視できる人、捨てられる人は、集団の中や人混みの中でも「楽しい」と感じることができます。自分だけの感覚に集中するのが得意だからです。
しかし、敏感で、繊細な人は、誰かがいるだけですぐにそちらに気が行ってしまいます。そして、その敏感さのせいで、「相手のために何かしてあげなくちゃいけない」と感じてしまうことがあります。
繊細な人は、勘の良い人として知られている場合もあります。自分の立場や、求められていることにいち早く気づき、仕事で頼られている人である場合もあるでしょう。ただ、「気づき」にいちいち反応してしまうと、自分の負担を増やす原因になる場合もあります。この人なら助けてくれる、やってくれる、できるはず、と過剰に頼られる可能性があるからです。
さらに、気付く全てを「気づいています」と発信してしまうと、気味悪がられたり、煙たがられたり、助けてくれるのが当たり前な人と認識される場合もあります。
だからこそ、気づきの力が強い人は、時にはとぼける能力も大切です。「知っていた」と言えば責められることも「知らなかった」と言えば、相手は責めることはできません。そもそも気づいているからといって相手を助けなくてはならないという決まりはないので、知っていても動かないことは、罪ではありません。
中には、知っているのに動かないことを責める人もいますが、気づいたことに反応しなくてはならないのは、人の生死が絡むような特殊なケースだけです。
子育てをする時に、親は子供ができないことのほとんど全てについて効率の良いやり方を知っていますが、だからといって子供の代わりに全てやってあげたら子供は全く成長せず、読み書きも、対人関係のスキルも伸ばせなくなりますが、これは大人同士の関係でも同じことです。大人になっても人は成長できるので、助けることが相手の成長の機会を奪うことになる場合もあります。
繊細で気づく人は、自分にとってメリットがあると感じる時にその能力を使用すれば良く、後はただ「見えているだけ、聞こえているだけ」だと認識しましょう。見えていること、分かることの全てを解決する能力は誰にもありません。また、手助けをしないことで、相手の成長が見えたり、別の解決方法が見つかることもあるので、「自分がやらないとまずい」状況はほとんど存在せず、少なくとも頼まれていないのに先回りする必要はないと認識しましょう。
敏感で繊細な人は「他人に都合よく利用されない」ように注意する
敏感で繊細であるということを人に悟られることは、一種危険なことでもあります。中には、それを利用してやろうという人がいるからです。
優しくよく気の付く人が、我が強く他人を顎で動かすような人に捕まってしまうことがあります。威圧的な上司に良いように使われたり、モラハラ気質のパートナーに振り回されたりするのは、よく気が付く人が、相手の機嫌に敏感過ぎるせいで相手に合わせてしまったり、相手のためにばかり行動をしてしまうからです。そうなると、相手にとって都合の良いただ働きの秘書や家政婦になってしまいます。
相手が好む服を着て、相手が好むペースで動き、相手が望む物を優先する。例えば特別なデートの日や、大事な取引先との交渉の場だけでこうした行為をするのであれば、相手を喜ばせる有効な交渉術ですが、こうしたことが毎日行われているとしたら、どうなるでしょうか。
繊細で気遣いばかりする人は、日に日に心の奥にストレスを溜めていき、そのうち疲れて生きる気力を失ってしまいます。
一方で、こうした好意を受け取る側も、毎日いつも自分に対して気を使い、「居心地の悪そうな」顔をしている繊細な人を見て、イライラするようになります。
さらに、相手の良心に付け込むことに良心の呵責を感じないような、自分にとって都合の良い相手が欲しいと考えるモラハラ気質の人にとっては、こうした繊細で気遣いのできる人は格好の獲物になってしまい、自尊心を満足させるための手段として繊細な人を自分の所有物のように扱い始めます。
つまり、気づきいたことに全て反応して行動に移していると、自分はストレスを溜める上に、悪い人間に捕まりやすくなるということです。
気付き、は防犯能力です。繊細で敏感な人は、いつもと違うことに気付ける能力のおかげで、最悪の事態を避けることができた経験も多いはずです。誰かが転ぶと思う場所にあるものをどけたり、些細なことから重要な連絡事項を見落とさずに早めに伝達できたりするのは、繊細で気づきの力のある人にしかできません。
だからこそ、それを利用して、「これはヤバイことになる」と思うような重大な気づき以外は、黙っているようにすると良いでしょう。知っているからといって、それを行動に移さなければいけないという決まりはないこと、助けてばかりいると、相手が失敗する機会を奪っていると考えて、敢えて自分のセンサーに反応しないようにするのです。
失敗は、人を成長させる糧です。人との間にある摩擦も、相手との距離を掴むための大事な要素です。合わない人間かどうかを確かめるための喧嘩や摩擦は必要なのです。そう考えれば、助けるのが良い行いとも限らない、と自分の頭に認識させることができるようになります。
自分が人に合わせていくらでも形を変えるようになってしまうと、いつしかこれが自分だという確かな自分が無くなって、生きづらさはますます加速してしまいます。
誰かに「ありがとう」と感謝されるために気づきの力を使うのは良いことです。ただ、誰かに「ここまでして欲しくない。頼んでない」と思われるほど気づきの力を使ってはいけません。また、誰かに利用されるようになるほど気づきの力を使うと、自分が壊れていきます。
いくつかのパターンに合わせて「どう反応するか」決めておくと便利
誰かが物を探しているのが目の端に見えた場合
反応するとストレスになりそうな時:〇〇を探しているかなと見当は付くが、今は仕事中で話しかけると時間をロスしそう。→いつかは発見するだろうし、困っていれば向こうから話しかけてくるだろうから黙っておこう。
反応してもストレスにはならない時:あまり気を使わないで済むような相手(家族や恋人など)が物を探していて、一言で伝達が済むし、ストレスにはならない場合。「そこだよ」で終わりにする。
趣味じゃない、合わないものを薦められた場合
いらないことをやんわり伝える:→服を提案された場合などは、とりあえず鏡の前で合わせてはみる。「センス良いね、素敵だね。でも自分が探してるのはもっと普段使いっぽいのかな。ありがと」。
相手に反応した上で、ありがとう、と言えば、それで断ってOK。それ以上は気を使わなくて良い。相手も、素敵なセンスと言われたことで一定程度は満足する。選んでくれないことまで不満に思うような人は、危ない人なので要注意。
いい人を期待されて、頼られ過ぎて困る場合
都合のいい人にならないように断る:→「これやっておいて」と言われたけれど、自分の役割ではないと感じた時には、「忙しいから無理だなあ。それに、自分でやった方が上達するよ。勉強になるよ」と断る。
それでもしつこく、都合のいい人であるべきだ、と説得する人の場合には、距離を置くこと。
繊細で敏感な人は他人の痛みに共感しすぎないことも大切
自分が怒られるよりも、他人が怒られているのを見ている方が苦手な人は、他者に対する共感性の強い人です。
ただ、学生時代には、教室で先生が他の生徒を叱責する場面など、相手の痛みを目の当たりにしなければならないシチュエーションもありますが、社会人になれば、ブラック企業などのように恵まれない会社でなければ、誰かが怒られている場に立ち会っていなければならない状況は避けやすくなります。転職や引っ越しという選択肢があるからです。
共感力が高すぎる人の場合には、なるべく一人でする仕事を選ぶなど、自分らしい生き方に繋げられる働き方を選ぶことが重要で、早い段階から自分にとって居心地のいい世界を求めて動くようにしましょう。
我慢したり、耐えることは自分の体を酷使して壊すことに繋がります。ダメだと思ったら、早めに辛い場所からは逃げ出しましょう。「気づき」の力のある人は、そもそもは能力の高い人です。読解力や理解力がなければ、共感することもできないからです。
自分に合った、楽しめる仕事が見つかれば生きやすくなるので、最優先すべきは「居心地の良い生き方を探し、早くそこにたどり着くこと」です。
ただ、繊細な人には、「神経質で自己中心的な人」が、「自分も繊細なタイプなんだ」と近寄ってきて、自分の都合の良い駒に使おうとしてくる場合があるので、くれぐれも人間関係には気をつけましょう。