お金に対する罪悪感から卒業し、お金に好かれる人になるには
お金への罪悪感から正しい知識を得ようとしない人の所にお金は集まらない
過去の時代のようにはっきりとした階級制度があった頃には、金持ちは金持ちとして一生を終え、貧乏人は貧乏人のまま一生を終えることが多々ありました。ですが、現在の日本のように誰にでもお金持ちになるチャンスのある時代と環境においては、お金を持つか、持たないかは個人の選択です。
今を生きる多くの人は、「お金持ちになること」に対して、罪の意識を持っている場合が多く、お金がある人に対して悪感情を抱く人もいますが、これは、メディアや教育による側面が大きく影響しています。
資本主義のシステムから生まれた、「資本」の集約によって、大企業が誕生するようになると、経営者はお金持ちで、従業員は庶民というイメージが広がりました。
マルクスの資本論などがその後押しになっている「資本家は悪だ」という考えは、確かに当時は最もなものでした。資本家になれる人は限定されていたからです。しかし、現代の社会では経営者になるかならないかは個人の選択の自由であり誰にでも開かれている道である以上、「現代のお金持ち」は、望めば誰でも成ることができるもので、善良な人も目指すことができるものです。
経営者には「誰もがなれる訳ではない」と感じる人もいると思いますが、経営者とは、自営業の人やフリーランスの人、企業の役員なども含む他に、株式投資をしている人なども含みます。個人に強い決定権があれば、それは経営者です。そして、「まともな会社や組織、個人」であれば、他人をこき使うような悪徳なやり方で儲け続けることはできないので、長くお金に好かれる人は、他人の事を考えることができる「まともな人」であることがほとんどです。
それでも、「お金持ち」に対するイメージが悪くなるのは、チャンスを掴むことで途方も無いお金持ちが生まれる一方で、挑戦に失敗する人たちもいるため、失敗への恐れから、「お金持ちは悪い人間だ」と感じてしまう面があるからです。
また、よく誤解されることの一つに、お金持ちが存在するから貧困が存在するという考え方がありますが、それは現代の仕組みではあり得ません。
富の平等を求めるほどに「頑張らない」人が増える社会になるという現実
ソ連時代のロシアが社会主義を忠実に実行し、企業や農業などの全てを国営にし、誰かがお金持ちになるのではなくみんながご飯を食べ、幸せに暮らせるようにしようと試みた時、一般の人々が幸せになったかというと、多くの人が貧困に苦しむことになりました。なぜなら、多くの人が「頑張らない方向へ」と走り始めたからです。(もちろん、人によっては、ソ連時代の方が豊かだったという人もいます)
どれだけ働いても、自分に余計なお金が入らないとなれば、誰も頑張る気力が無くなります。そうして、技術革新も、デザインの革新も起こらずに産業は衰退し、農業では全く生産性が上がらなくなりました。国全体で見たら、あらゆる産業で生産量が落ちてしまったのです。
つまり、人が頑張ろうと思える環境のために、「自由競争」が必要だということです。
お金とは、手段です。つまり、誰かが欲しいと思うものが、「お金」によって媒介されているのであり、お金は目的ではありません。デザインの優れた服も、オーガニックの食品も、海外での休暇も、自分が欲しいと思う全ての物とサービスは、「お金」に換算できるものです。だからこそ、「お金」があることが、「幸せな時間」を生み出すことに繋がるのです。
しかし、「お金を儲ける」ことに対して背徳感を抱く人も大勢います。なぜお金に対して、背徳感が生まれるのでしょうか。それは、お金が手段ではなく目的になっている人を嫌悪する感情があるからです。
「お金が無くても幸せ」という言葉がありますが、何にでも限度があり、全くお金がないのに幸せに生きることは不可能に近いと言えます。人によって、これくらいで満足だ、という範囲が違うため、年収が100万円で幸せに暮らせるという人もいますし、年収が1億円でも足りないという人もいますが、「お金が無くても幸せ」という人が、本気でそう思っているかは、確かではありません。お金が無いからこそ、無くても幸せだと思おうとするという一面もあるからです。
節約をしたり、工夫をする生活を楽しんでいる人の中には、金銭的には十分に余裕がある人も大勢います。節約や工夫が義務ではないからこそ楽しいと思えるという面があるからです。本当に貧乏な人にとっては、節約は義務であり、できることならそこから抜け出したいと感じるものです。つまり、節約を趣味で行える人は、実は「生活環境が豊か」な人なのです。
中には、お金が十分にあっても、全く幸せを感じられない人もいます。いくらお金があっても、そのお金を使って購入する物やサービスを愉しむ相手が全くいなかったり、自分が生きがいと感じられることがなければ「お金=幸せ」という等式が成り立たないのは事実です。
「幸せ」と「お金」は、安易に結びつける事はできません。ただ、「本当はもっとお金が欲しい」と心では感じているのにそれを実現しようとしなければ、永遠にお金が増えることはない事は確かです。
お金持ちを悪者にしても、自分がお金持ちになることも幸せになることも無い
「自分ばかりが良い思いをしている人=お金持ち」というイメージが強くなっていますが、実際には、お金持ちだから悪い人ということはなく、お金持ちには一般的な人と同じで良い人も悪い人もいます。
人を騙してお金を集める人や、人をこき使ってお金を集める人は悪いお金持ちと言えます。ただ、懸命に勉強し、何度も失敗しながら成功を掴み取ったお金持ちの多くは、人のためになる発明をしたり、人のためになる物づくりをしたり、多額な財産を寄付しているお金持ちです。そうしたお金持ちは、本人がお金持ちになることで、多くの人を助けてもいるのです。
お金とは、労働力を動かすための力です。ボランティア活動のような慈善活動でも、多額のお金がかかります。ボランティアだから労働費用がかからないという場合でも、移動費や材料費などの費用負担が必要です。そのため、人を救うにも、お金がなければ救うことはできません。
労働力はあるけれどお金がない人のために、アイデア一つで莫大な資産を持つことに成功した富裕層は、お金を寄付するか、投資します。なぜなら、このような良心的な富裕層は、「お金」がどこから生まれるのかをちゃんと知っているからです。
お金は、人が必要とする物やサービスから生まれるのです。人に好かれるところから、発生するものなのです。
つまり、人に求められる物やサービスを提供すること、そうしたサービスを提供している企業の資本家になることが、お金を増やす方法です。
誰かが欲しがる物やサービスを作り出すことは、その物やサービスの「買い手」にも「売り手」にもプラスな出来事です。さらに、良心的な富裕層がお金を手にすると、慈善事業など、無償労働が必要な分野にもお金が行き渡るようになります。
富裕層の税金を増やしても、一般の人々が豊かになるという保証はない
お金に対して罪の意識を感じる人の多くは、富裕層からお金を多く取って、そのお金で国が率先して困っている人を助けるべきだと考えます。しかし、そうやって富裕層から集められた税金が、「多くの人が納得する形」で使用されるとは限りません。
税金について議論すると、「富裕層からだけお金を取ればいい」という考えを持つ人がいます。もしも今が階級社会であるならば、富裕層からだけ税金を取るというのも納得できますが、努力によって富裕層を存在させないような社会にしてしまうと、誰も頑張らない社会がやってきてしまいます。
頑張っても報われないと感じたら、人は頑張らなくなるからです。
つまり、富裕層が存在できない社会を作ることは、かえって全体的に貧しい国を作ることに繋がるのです。
また、国が、自分たちの本当に納得することのためにお金を使ってくれる保証はありません。税金として取られた富裕層の資金が、「悪いお金持ち」のところへ流れていく可能性も高いのです。だからこそ、税金によって政府に平等を実現してもらおう、という考えは、非現実的と言えるでしょう。
お金のことを勉強しようとしなければお金はどんどん逃げていく
宝くじを当てた人が、お金を維持することができずに破産することが多いのは、お金の維持の仕方を知らないからです。欲望の赴くままにお金を使って、それでお金を失ってしまいます。
働いて給料が上がってもお金が貯まらない人も、お金の維持の仕方を知らない人です。欲望の赴くままにお金を使ってしまうから、お金が貯まりません。
ところが、本当の富裕層というのは、無駄な買い物をしません。いずれゴミになるかも知れないと思うものを買うことは、自分の本当の趣味でない限りせず、長持ちするものや、利益のある物しか購入しません。例えば、富裕層が宝石や絵画を買うのは、それが資産だからです。
資産というのは、将来になっても一定程度の価値があるものです。価値が変わらないか、購入した時より価値が上昇する物は優秀な資産ですが、そうした資産として好まれるのが、預金・金・証券(株・債権など)・その他金融商品・不動産・宝石・絵画・骨董品などです。
これらはどれも、「勉強しなくては」その本当の価値やリスクが理解できないものです。
面倒くさいから、と金融に対する理解を放棄してしまうと、「入ったお金=全て出ていくお金」になってしまい、欲求の赴くままにお金を使い、いつも手元にはお金がなく、「給料を上げて欲しい」、「富裕層にお金を分けて欲しい」と願うばかりになります。
お金の維持の仕方を知らない人は、1億円をもらっても、すぐに使い切ってしまうでしょう。お金の維持と増やし方を知っている人は、1億円を元手に、いくらでもお金を増やしていきます。しかし、お金についての考え方に罪の意識がある人ほど、ただお金を使って、それで無くなって終わりにしてしまいます。
お金で幸せは決まらないけれど、お金が無ければできないことは増える
お金が無くても幸せになれるという言葉を、「お金が無いこと」の言い訳にしている人は、お金が無いことで苦しい思いをしているか、苦しい思いをすることになるでしょう。
例えば、お金がなくても全然平気という人は、自分一人がお金が無くても幸せに生きることはできます。山の中で自給自足で生きることは、自分にとっては幸せかも知れません。しかし、家族や守るべき相手がいる場合には、家族や周囲の人がお金で苦労することになります。
お金は、労働力を買うことができる力です。そのため、お金があれば、他人の労働力を借りることができるようになり、良い教育や、ためになる経験を得るためにお金を使うことができます。お金が無い事でそうしたチャンスを逃すことを、自分は良いと思えるかも知れませんが、周囲の人全員にそれに同意してもらうのは相当難しいことです。
お金があれば、良い教育を受けて、好きな場所に行き、美味しいものを食べるといった事を、自分だけでなく、自分の大切な人たちと十分に行うことができます。そのためには、お金について学び、自分自身で起業をするか投資を行う必要がありますが、そこまでのリスクを取り学んだ人にしか、お金の維持の仕方も増やし方も身に付けることはできません。
そこが面倒だからと、「お金ばかりに注目するのは恥ずかしいこと」だと、本心ではお金に興味があり、お金が十分にあったら良いのにと思っている気持ちを隠してしまうと、お金に見離されるだけでなく、チャンスにも見離されるようになってしまいます。そして、不必要にお金持ちに対して悪感情を抱いては批判ばかりするひねくれた人間になってしまいます。
この世界に、お金持ちになる可能性がゼロな人は存在しません。
誰でも、適切に学び、努力をすればお金を得て、それを維持し、増やしていく方法は学べます。しかし、今まで自分が学んだこと、今まで自分が居た環境が世の中の全てだと思い込んでしまうと、そのチャンスは永遠に訪れません。
会社や組織の中で誰かのために働くということは、常に誰かにお金を下さいと頼む立場にあるということです。そこでは、人に頭を下げることに対する抵抗が生まれやすく、人に仕えているということそのものに抵抗を感じる人もいます。そうした感情がたまると、経営者や自分よりお金のある人が疎ましく感じる場合もあるでしょう。
しかし、経営者などビジネスで成功する人の多くは、人に頭を下げることなど全く抵抗がないという人が多いものです。経営者も、誰かにお金を下さいと頼む立場にあるからです。むしろ、それを喜んでやろうと思うからこそ、経営者になることを選びます。
成功し続ける人は、相手に満足してもらい、快くお金を払ってもらうことを重要視します。なぜなら、お金を払ってくれるのが、物やサービスに満足した相手だからです。
人に頭を下げるという行為自体には、一銭のお金もかかりませんが、上手に頭を下げることができると、沢山のお金を引き付けることができます。ですが、自分の小さなプライドにしがみついてしまう人ほど、自分の達成したい目標に対して「こういうことはしたくない」と、障害物を置いてしまいがちです。「お金持ちになる」と決めてしまえば、人を喜ばせなくてはならないことに気付きます。昇進するにしても、起業するにしても、物を売るにしても、人に「良い」と思ってもらわなくては成功できないからです。
お金が無くても感じられる幸せはもちろんたくさんあります。お金に換算できないことが世の中にはたくさんあるからです。ただ、お金に対して罪悪感や卑屈さを感じてしまううちには、お金が無いことで幸せにはなれません。なぜなら、お金が無くても感じられる幸せがある一方で、「お金に換算できないこと」ばかりで世界ができている訳ではないので、お金が無いと手に入らない物やサービスから得られる幸せを、「羨ましい」と感じてしまうからです。
自分はお金持ちになれると心の底から信じて、常に学ぶことが大切
お金のことばかり考えていてあくせく働いてばかりいるという人は、本当のお金持ちではありません。お金に振り回されている人です。
また、お金が全く無くて苦労しているという人は、お金について考えるのを後回しにしている人と言えます。
お金について考えるのは、怖いことです。自分には能力がないと疑ってしまったり、自分は人と接するのが苦手だと感じやすい人には、特に怖いことだと思います。
ただ、そうやって考えるのを後回しにしてしまうと、永遠にお金に恵まれる日はやってきません。偶然宝くじが当たっても、お金持ちの人と結婚したとしても、いつかまたお金に困る日がやってくる可能性があります。
本当の富裕層は、家族のため、自分のための時間を大切にし、それだけの時間を確保できる事業を運営しながら、資産の運用によってお金を維持し続けます。また、額の上では膨大な税金を支払い、その上で慈善団体に巨額の富を寄付し、人のためになることをします。
所得税は、富裕層であるほど高額になるため、多くの富裕層は所得としては巨額な金額は受け取りません。経営者の給与が年収1億円だとしても、半分の5千万円以上が税金として取られることになります。給与だけでお金を増やすのは実際には難しく、ほとんどのお金持ちは資産運用で富を増やしているのです。
富は、奪い合うものではありません。もちろん、石油や石炭、木材のように数に限りがあるものは、需要が増え続ければ奪い合いになり価格が高騰しますが、お金そのものは、無限に刷ることができる今の世界では、奪い合うという構造が成り立ちません。金本位制度の頃であれば、全てのお金は「金」の量によって制限されるため、お金にはある程度の奪い合いの構造がありましたが、現在のお金には、そうした機能は付いていないからです。
富裕層や有名な資産家が、個人や家族だけで世界の物やサービスを利用し尽くすことはあり得ませんし、富裕層や資産家は、ただ富を維持することで増やしているだけで、自分のために使う分はとても少ないものです。だからこそ、富裕層のせいで誰かの生活が成り立たないという状況は、起こりません。
そして、多くの富裕層が、投資により増やしたお金を慈善事業等に寄付していることからも、良心的な富裕層が増えることは、国が本来持つべき財政による平等の実現や、医療を適切に人々に行きわたらせることを、良心的な富裕層の判断によってより早く、確実に可能にできる良い手段とさえ言えます。国がお金持ちになったら、適切にお金が回ると信じられるほどに良い国ならば別ですが、多くの場合には、「悪いお金持ち」の方へお金は流れていってしまうでしょう。
つまり、人助けをしたい人ほど、お金持ちになるべきなのです。
お金を、誰かにために使いたい人は、お金持ちになれば、助けたい人を助けられるのです。
人生は、自分が何を考え、どう思っているかで決まってしまいます。「お金が無いけどこれでいい」と本心では思っていなくても、口に出してそう言い続けていると「お金持ちになるルート」を発見する手立てを見つけることができなくなります。
本当にお金持ちになりたいのであれば、「お金持ちになれる」ことを信じ、そこから事業についてや金融や経済、興味のある資産に対する知識を深めるように努力する必要があります。
「お金が無くても幸せ」と考えることができる人は、「お金があっても幸せ」になることができる慎重な人です。そんな人こそ、「お金持ち」になって、必要としている人に対してお金を使い、他人も、自分も幸せにする人になりましょう。