ホームレス拒否問題にみる得体の知れない人を怖がる心理

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ホームレス拒否問題に見る差別と区別の構造

 

ホームレスを嫌と感じる本当の理由

 

避難施設でホームレスが受け入れられなかったことについて、あらゆる議論が巻き起こった。

 

ホームレスは汚いから嫌だ。

 

ホームレスは得体が知れないから嫌だ。

 

拒否する理由は様々だが、そこには、納税し、地域に生活している人々とホームレスを区別した上で、さらに、差別をしている構造が見える。

 

有事の際にはどんな人に対してでも避難施設を開放すべきという考えの人がいる一方で、ホームレスについては、受け入れるべきではないという人がいる。

 

べき論や、理想論でいえば、ホームレスの人を差別してはいけないと誰もが考えるだろう。

そして、人権の点から見ても、人である以上は生存権があるのだから、それが脅かされる状況を放置、見殺しにした人は、法で裁かれてもおかしくないと言える。

 

しかし、現実は、「誰でも助けるべき」と考えている人ばかりではない。

 

ホームレスは得体が知れないから怖い

 

ホームレスが嫌だという人の中には、彼らが得体が知れないから、と考える人もいる。

 

彼らには定住地がない。そして、定住地がないということは、得体の知れない人ということでもある。

 

家を借りている、または持っている人というのは、ある一定の審査に合格している。審査を経て、この人になら貸せると思われなければ家を借りることはできないし、持ち家のある人は、固定資産税を納めるなどして行政と関わりを持っている。

 

だからこそ、家のない人は素性が知れないと判断されやすく、犯罪者なのではないかと疑われ易い。

 

ホームレスの中には、犯罪者である、逃亡中であるという人が全く含まれていないとはいえないが、しかし、家を借りている、または所有している人であっても、犯罪者は大勢いる。

 

ホームレスかどうかで、犯罪を犯す可能性があるかどうかは分からない。

 

一般社会と同じく、人の集合体の中には、良い人もいれば、悪い人もいるものである。避難所において、ごく普通のお父さんだと思われていた人が、女性の着替えを覗いていた、付きまとい行為をしたといった事例もある。

 

そう考えると、得体の知れないという意味において、特にホームレスに特有の現象というのではないことが分かる。

 

ホームレスは汚いから嫌だ

 

これもまた、よく言われることの一つであるが、ホームレスには、臭い、汚いというイメージが付いてまわっている。

 

一部には、お風呂にも入らず、何日も洗っていない衣服を身につけている人もいるだろう。しかし今では、銭湯に出掛ける、無料のお風呂に入るなどして身ぎれいにしているホームレスの人もいる。

 

しかし、ホームレスであるというだけで、臭いのではないか、汚いのではないか、と初めから決めつけてしまう人がいる。

 

しかし、これも、普通の社会の中でも、ゴミ屋敷で暮らす人がいるように、お風呂に一週間は入らないのが当たり前な人がいるように、臭い人も、汚い人もいる。

 

これが、ホームレスというレッテルだけで決定できるものではないことは明らかだ。

 

ホームレスは、納税していないから守られる権利はない

 

自治体の専用の施設についての解放は、その自治体に対して税金を払っている人だけが利用できるという考えがある。これは、行政自体がそう考えている場合もあり、行政の側がそのルールに従いホームレスの受け入れを拒否したこともある。

 

しかし、当然ながら、旅行者などの住所のある人の場合は受け入れを拒否されない。また、家族の中に税金を払っていない人がいたとしても、それで受け入れを拒否されるということはない。

 

つまり、この税金による線引きというのも、かなり曖昧なものになる。

 

もしかしたら、ホームレスになっている人の中には、かつては高額納税者だったという人もいるだろうし、生活保護の申請はしているが、しかし住居を定めていないといった場合もあるし、働いているが、家だけないという人もいる。

 

つまり、税金で線引きをすることは、出来ないということだ。

 

一体、どんな状態にあれば、彼らを拒否して良い理由になるのか、きちんと考えてみると、その線引きが難しいことが分かってくる。

 

 

なぜ彼らは嘘をつかなかったのか

 

もしも、旅行者であると申請し、かつての住所などを記載していれば、彼らは避難施設に入れたかも知れない。

 

しかし、彼らはそうした嘘をつかなかった。

 

自分たちはホームレスであると、きちんと伝えた上で、拒否された。

 

彼らは、嘘をついてまで命を守ってもらおうとしなかった。その潔さに対し、私たちはただ、曖昧に抱える感情だけで彼らを拒否することができるのだろうか。

 

避難施設など、見知らぬ人が集う場所では、ホームレスかどうかに限らず、人々は相手に対して警戒心を抱く。

 

顔見知りや、学校、職場などで同じコミュニティに属しているなどでない限り、知らない人は怖いものだ。

 

もしかしたら、自分に対して危害を加えてくるかもしれないという危険性を、見知らぬ人であるほど、高く感じる。

 

知らない、ということは、それほど心のハードルを高くする

 

ホームレスについても、結局のところ何も知らないことが、彼らを拒否する心へと繋がってしまうのではないだろうか。

 

行政はなぜ動かないのか

 

元々、ホームレスの受け入れを拒否したのは、行政の窓口である。

 

これについて考える時、行政は何をしているのか、ということを抜きには語れない。

 

一口に行政と言っても、「何を守っているか」が立場によって違う。

 

人によっては、自治体の納税者の生活を守っていると思っており、人によっては、ホームレスの支援を行い、人権を守ろうと思っている。

 

そもそも、なぜホームレスは減らないのか

 

ホームレスが暮らす場所はいくつかあるが、どれだけ行政が動いても、ホームレスは減らない。強制的に移動をさせられればホームレスは新たな居場所を探し、そこに住み着いていく。

 

ホームレスが、ホームレスである理由は、人によって全く違うだろう。

 

生活保護を需給している人もいれば、実は人並みに稼いでいる人もいるし、誰かから、何かから逃げて暮らしている人もいる。

 

また、家を持つということを拒否している人もいれば、誰かと暮らすと起こる地域の付き合いなどが嫌で1人でいる人もいる。

 

しかし、ホームレスには、ホームレスとしてのコミュニティがあり、立場や人間関係があるもので、全く面倒がない世界という訳ではない。

 

しかしそれでも彼らがホームレスを続けるのは、それしか方法がないからであったりもする。

 

だからこそ、行政は、彼らが暮らす場所、はたらく場所を提供するように尽力するのであるが、この、行政が彼らを支援するお金は、税金でまかなわれている。

 

しかし、税金の額にも限りがあるし、支援する立場の行政の人数にも限りがある。

 

さらに、彼らを強制的に動かせる法的執行力についても限界があり、結果的に放置する、無視するといった方向へ流れ、ホームレスでいることを許容する社会ができている。

 

誰でも、ホームレスになる可能性はある

 

これから、未曾有の自然災害が襲うかもしれないという日本で暮らしていく中で、家を失うといったことは頻繁に起こるかも知れない。

 

そうすると、火災保険料が値上がりしているように、税金や保険料はさらに高額になり、しかし、給料は減っていくという現象が起こる。

 

ホームレスしか選択肢がない。または、一時的にホームレスにならざるを得ないという人が出て来てもまったくおかしくないのだ。

 

他者を拒否する心の危険

 

災害や、災難は誰にでも起こり得る。

 

しかし、こうした苦しい出来事があまりに頻発するようになると、助けたくても助けられないという状況が一般化し、人々は、自分と、その家族や知人を守るだけでせいいっぱいの状況に追いやられてしまう。

 

優しい社会というのは、安全で、安心する社会でなければ継続が難しい

 

本当に誰もがそうした苦しみの中にいるのであれば、手に手を取って助け合う、といった世界も広がる場合があるが、自分たちを守ることに必死になってしまうと、他者を拒否する心理が生まれてくることがある。

 

しかし、そうでもしなければ、生き残れないこともある。

 

自分の命を投げ出してまで助けたい人もいるだろうが、しかし、自分の命を優先させることがあるのも、ごく自然なことである。

 

ただ、自分を守るという意識が行き過ぎると、他者を拒否する心理が生まれ、他人を受け入れることができなくなってしまう。

 

ホームレスという枠組みは、行政のためにあるもの

 

ホームレスという言葉自体は、家のない人への支援を行うために必要な言葉である。

 

ホームレスの人々は、どこかの施設に入居して生活できるようになった時点で、すぐにホームレスではなくなる。

 

行政は、家のない人々に安全に暮らせる場所を提供する取り組みを行わなければならないが、ホームレスが一時的な状態であると考えると、一般に生きる人々は、ホームレスであるということに囚われて他者を区別すべきではない。

 

なぜなら、ホームレスかどうかに関わらず一般の社会には悪い人間はいるので、ホームレスを排斥したところで、自分の身が安全になる訳ではないからだ。自分の身の安全を守るために必要なのは、そうした分かりやすい見た目や状態などの枠組みで人を判断するのではなく、あらゆる危険に気付く力を身につけることが大切になるからだ。

 

一般的な見た目やレッテルにより、相手を排除するくせが付いてしまうと、むしろ、それはあなたを危険に貶める可能性がある。

 

見た目やレッテルの良い人ばかりを信用するくせがつくと、そうした変装をして紛れ込んでいる悪人を見抜けなくなる。

 

ホームレスかどうか、という枠組みで物をみるということは、自分の事も、レッテルだけで他者に評価されてかまわない、と言っているのと同じ事になる。

 

女だから、男だから、髪が長いから、太っているから。

 

先生だから、定職に就いていないから、大学に行っていないから。

 

ホームレスだから、と区別することは、見た目や立場で判断することを許容しているということだ。

 

例えば、行政が避難施設に人を拒否する場合に判断すべきは「今、避難している人々に害を加えそうな人」であり、例えその人がどんなに社会的信用のある人でも、その手に武器を持っているなどという危険行為をしているのであれば、警察を呼び、確保しなくてはならないということになる。

 

ホームレスに対する差別をなくすために現実的にできること

 

これからも、災害や災難は日本を襲う。

 

気候変動を考えれば、その頻度や被害の大きさはますます大きなものになるかも知れない。

 

そんな時に、避難所に入れるか、入れないかでもめている場合ではなく、誰もが避難できるような整備をしなくてはならない。

 

例えば、これから先、ホームレスの人が避難所に入る場合に、ホームレスというだけで彼らが差別され、危険な目に遭う可能性もある。その場合、ホームレスだから犯罪に遭って良い訳はなく、危険な犯罪者として逮捕されることになるのは、ホームレスを排斥した側の人間になるだろう。

 

差別や区別は、理想とは別に、無くなるどころか、これからますます増える可能性すらある。

 

そうした人々を守る意味では、分けるという行動が、区別が必要になることもある。

 

女性や子供が何日も避難をする場合に、やはり、危険な目や、不快な体験をする人は多く、男女別、家族別に避難できる場所の確保が必要になる。

 

しかし、自治体の施設だけではなく、空き家や、民間の宿泊施設などを利用できるような整備をすすめなくては、安全に生活をする場所の確保は難しくなるだろう。

 

人口が減少している日本では、空き家も増えている。

 

家は、誰かが住まなければ廃れていき、ダメになってしまう。それを思えば、空き家を活用したホームレスへの住居の提供なども視野に入れることもが大切になる。

 

これまでは、一時的なもの、滅多に起こらないこと、というイメージのあった避難生活が、これからは、定期的に起こるものになるかも知れない。

 

その時に、いかに自分や家族の身を守り、安全に暮らすかについての共通認識は、試行錯誤しながら高めていくしかない。

 

ただし、自分を、家族を守れるようにすることは、他者を排斥することとイコールではない。

 

知識や防災に関連する道具を準備するなどして、家族を守れるように、自分を守れるように行動することはこれからますます大事になる。

 

良く知らない相手と、無理に仲良くする必要もないし、自分が苦しい思いや死ぬ思いをしてまで、他者を助けなくてはならないという決まりはない。

 

しかし、相手を拒否したり、拒絶の反応を示していると、場の雰囲気は悪くなり、排斥の空気が浸透していくことになる。

 

災害や災難が予想されるこれから先、人と人との関係、付き合い方がますます重要になっていくだろう。助け合いを推進するためには、受け入れられる器を広げなくてはならず、しかし、広げすぎても、誰かに負担がかかる。

 

バランスがとても難しくはなるが、しかし、相手の肩書きや立場で人を区切るということは、同じ様に自分も区切られるということであり、ほんの少しの失敗や、失態により、自分がコミュニティから排除される可能性も高くなるということを心に留めておきたい。

 

 

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