家庭や仕事の邪魔になる男のプライドの捨て方

心の距離を縮めるために、である調でお届けいたします。
男のプライドほど邪魔なものはない
男のプライドと言っても、その実体について深く考えることは少ないだろう。
その正体は何かと言えば、結局のところ「自分かわいさ」に尽きる。
プライドが邪魔をして、という言葉を聞くことはあるが、そう言われた相手側は、邪魔になるようなプライドなら捨てれば良いのに、と思っている。
プライドと混同してしまうことの1つに、自分という人間を形作るためのアイデンティティがある。
例えば、赤色が自分のカラーであると決めている場合に、黒は何があっても着ないという人がいる。
例えば、野菜か穀物しか食べないという人がいる。
こうした、自らが定めた信条に基づく行為は、男のプライドには入らない。
男のプライドというのは、特別信条として決まっている訳でも、宗教や文化背景に基づくものでもなく、ただ、自分の中で決めていたことと違うことが起こったから、自分が思い描く通りにならないから、ヘソを曲げたり、見て見ぬ振りをしたりすることである。
ここで、「男の」と付いているからといって、これが男だけを示しているとは限らない。「男のロマン」という言葉のように、女にも理解できる感覚の1つ、女にも持つ事のできる感覚の1つが、「男のプライド」である。
だから、性別には全く関係なく、「男のプライド」のせいで、物事が捗らなくなったり、周りが迷惑をするといったことは起こり得る。
男のプライドの根底には、自己防衛の精神がある
男のプライドの正体を「自分かわいさ」と断定したが、自分かわいさとは何だろうか。
これは、自己防衛を表しており、究極的には、「自分の命が危うくなるかも知れない」と思うからこそ、男のプライドが出現しているということである。
例えば、家族や職場で共用している物が壊れた時、ごく普通の人は、自分で直せないのであれば周りの人に「壊れてしまった」と伝え、直してもらうか、直し方を教えてもらうだろう。それがコピー機である場合、そうしなければ周りの人もコピーが取れないし、それがパソコンである場合、仕事が進まなくなるからだ。
しかし、男のプライドのせいで、「壊れた」と伝えることのできない人がいる。
壊れたコピー機を放置したままにする。直せないのにめちゃくちゃにパソコンをいじってみる。そして、ついには仕事を放棄する。
家庭であれば、壊れたプリンターを放置していれば次ぎに使う人が壊した犯人を父親だと断定し、「何で教えてくれなかったの!」と怒ることもあるだろうが、職場では、「またあの人か・・・・・・」と内心思われているだけで、指摘されることはない。
圧倒的に自分に非があるという場合には率先して謝罪をする人間でも、自分に起因するのかしないのかが特定しづらいミスや故障については、「男のプライド」を掲げて「なかったこと」にしてしまう人は多い。
待ち合わせ時間を間違えた。営業日でない日にレジャー施設に遊びに行ってしまった。道を間違えた。
こうした全ては、事前の調査や、少し人に尋ねるなどといった事ができれば防げたり、すぐに改善できたりする。
人によっては、これらの出来事はミスでも失敗でもなく、日常で起こり得るただの出来事でしかない。
しかし、「男のプライド」を掲げる人々は、万が一責任を問われることが、誰かに指を差されて笑われることが、頼りにならないと思われることが嫌で仕方がなく、素直に「ごめんね、間違えちゃった」や、「やり方が分からないんだ」といった一言が出てこない。
小さな失敗やミスが積み重なり、いつか取り返しの付かないほどの大きな失敗をする可能すらある「男のプライド」は、仕事の効率を妨げ、成果の邪魔をし、家庭内の不和を呼ぶことにもなるというのに、この事実に気付いていないからこそ、「男のプライド」は今でも世間で幅をきかせている。
損と得とを正しく理解できれば、男のプライドは捨てられる
「男のプライド」を出現させてはミスや失態は自分のせいではないと言い張り、大切な連絡事項を伝えずに周囲のことより自分を優先し、指摘されると不機嫌になる「プライドの人」は、いつかは職場の人からの不信を買い、家庭内での信用が下がっていく。
すると、どうなるか。
信用がなくなった人に対して、人は仕事を頼まなくなり、困っているあなたを見ても助ける人はいなくなり、家庭では、期待されない「居ても居なくてもどうでもいい人」へと変わってしまう。
どう考えても、マイナスにしかならない。
しかし、それでも「男のプライド」を発令してしまう人は、足し算と引き算のできない人だと言える。
家庭内で、自分が印刷している途中でプリンターが壊れたとしよう。まずは自分で直そうと、ボタンを押したり、中を覗いてみたりする。でも、うまく動かない。このとき、あなたにはプリンターを直す技術も、業者へ頼むという選択もないとする。
その時の、あなたの選択肢は2つある。
正直に、家族の誰かに「プリンターが壊れた」と伝え、「自分で直せそうもないから直して欲しい」と頼むか、何も告げずに放置しておくか、だ。
正直に言った場合、「壊したの?」と言われる確率が一定率ある。このように、あなたに責任があると思われた場合に、1の信頼が減るとしよう。ここで、自分が責められることに敏感になると、何も告げずに放置する「男のプライド」が発令される。
放置した場合、いつか家族が気付いた時に、「いつ壊れたの?」「どうして言わなかったの?」「何したの?」「壊したんでしょ?」と、何倍も責められる可能性があるのに、取りあえず、今怒られなければいい、自分のせいにはならないかも知れない、と考えて放置を選んでしまう。
この場合、自分が責められる可能性の1に加えて、放置したという事実に対して、この人は信用のおけない人だと、追加で1の信用が減ることになる。
つまり、すぐにミスを伝えた場合に信用が1マイナスになるとしても、後でバレた時の方が、信用は2マイナスになるのだから、その方が損をしているということが分かる。
基本的に、失敗やミスは早く知らせるほどに減る信用は少なくて済む。自分で直す努力も大切だが、自分の能力の限界を感じて早く知らせること、先に失敗を知らせて自分で努力するようにすること。こうした、伝える力は、信用と直結しているため、失敗が信頼を厚くすることすらある。
物はいつかは壊れるし、日付や場所を間違ってしまうことも人にはある。だから、失敗や、タイミングの悪い出来事というのは誰にでも、いつでも起こり得る。
事前に備えたり、準備をしておくことで失敗をしないことは大切でも、防げない失敗やミスは必ず出てくる。だから、周囲はそうした不意なトラブルをある程度であれば許容できるようになっている。
それなのに、失敗を隠したり、ごまかしたりすると、失敗した以上に信用は減っていくのだ。
この、ほんの少し責められるかもしれない可能性より、確実に信頼を失う方が怖いということに気付けないのが、「男のプライド」の最もやっかいな所だ。
ごまかしや逃げの精神こそが男のプライドの正体である
小さな子供が明らかな嘘を付いた時には、思わず笑ってしまうこともある。
口の周りにべったりとチョコレートを付けながら、「チョコレートなんて食べてないよ」と言われたら、「うそはいけないんだよ」と笑いながら諭すこともできるが、しかし、大の大人の見え透いた嘘には、笑うことなどできない。
ほんの小さな積み重ねでも、ごまかすという小さな嘘や、無視するという小さな無責任を重ねていくと、それは、いずれは大きな信用の低下につながる。
自分を尊敬する心、と書く自尊心(プライド)というのは、尊敬に値するだけの考え方が詰まっているものだ。それは、ある人にとっては全く尊敬に値しないかも知れないが、誰かの心は強く打つような類いのものである。
しかし、ここで言う「男のプライド」というのは、誰からも尊敬の視線を浴びないし、自分自身も、尊敬に値する精神だとは思わないだろう。
つまり、ただ、その場しのぎで出てくる態度でしかなく、ただのごまかしでしかないのだ。
ごまかしたところで、大抵の物事は事実が明らかになる。結局、「男のプライド」を使用したせいで、自分の評価を下げることにしかならない。
それなのに、自分かわいさで「男のプライド」という言い訳を掲げる人は、結局のところ「逃げる人」であり、「ごまかす人」であるということを公言しているようなものだ。
格好良い人とは、「男のプライド」を捨てられる人
男のプライドが、自分かわいさから出てくるごまかしだとしたら、これを即座に捨てられる人は、潔い、格好良い人になる。
「男のプライドだから」と言い訳するような人は、心の奥底では「格好いい」と思われたい願望を持っていることが多い。
しかし、願望に反して、格好悪い行動や言動ばかりするので、その理想に近づけない。
本気で格好良くなりたいと思うのなら、損しかしない「男のプライド」を捨てて、潔く、失敗やミスを明るく伝えてみるといい。自分で失敗をカバーできることが理想ではあるが、しかしそれができない場合も必ずある。
しかし、周りに協力してもらわなくてはならないような状況こそ、チャンスだと思った方がいい。「自分かわいい」ではなく、「かわいがられる」人になるには、困った時には適度に助けを求め、甘えられる人でなければならないからだ。
注意したいのは、男のプライドを持たないことは、プライドを捨てることとは全く違うということだ。
男のプライドを発動せずに、失敗やミスを素直に認められる人の方が、むしろ、ここぞという時には「失敗を認めないこと」が、効果的に作用する。
普段から素直に謝り、ミスや不手際を、例えばそれが機械のせいでも、自分の使い方が悪かったと言える人がいるとする。その人が、何かの時に絶対に主張を譲らないという時には、周りの人は「これは余程のことだ」と判断し、あなたの主張を受け入れてくれる確率が高くなる。
ささいなことであれば、ミスや失態、事故を隠したりしないことが肝心であるが、絶対に引けない場面では、引かない人であることも大切である。
仕事上の大事な契約の時、子育てや、家族のあり方でこれは大切ということを伝える時、そういう時にはむしろ、引かない姿勢が大切になる。
ただ、普段から無責任な行動を取っていたり、ごまかしたりすることが日常になっていると、ここぞという時に自分の意見は通らないだろう。
だからこそ、何か大きな決定をする時に自分の意見を通すためにも、重要なポイントで大きく得をするためにも、普段は失敗を認められる、ミスを笑って認められる姿勢が大切になる。
「男のプライド」を言い訳にしている人は、毎日小さな負債を積み重ねていると思った方がいい。だからこそ、いずれ大きなトラブルに巻き込まれることを覚悟しなければならないだろう。
大きく得する生き方を選ぶのであれば、すぐにでも「男のプライド」は捨てるべきである。