見て見ぬふりをする理由と、困った時に互いに助け合うことを可能にする方法

見て見ぬふり なぜ 助ける 社会問題
スポンサーリンク
スポンサーリンク

困っている人や助けが必要な人を無視する仲間外れ防止用の本能

人を助ける動きを妨害し、見て見ぬふりを生む傍観者効果

誰かが暴漢に襲われている、ビルに煙が充満してきているといった危機的な状況で、人は一般的にどんな行動を取るでしょうか。

 

暴漢に襲われている人のために警察に連絡をする、ビルに煙が充満していたら避難するために外にでるといった想像をする人が多いのではないでしょうか。

 

しかし、現実にこうした出来事が起こった時、人は、置かれた状況によってはこのような異常事態に反応せず、見て見ぬふりをする場合があります。

 

多数の人間がいる場であるほど、人は人を助けないという傍観者効果という実験結果があります。

 

殺人事件が目の前で起こっていても、それを目撃している人が多いほどに、誰もが「誰かが警察を呼んだに違いない」と考え動かなくなる、煙が部屋に充満しても、周囲に動こうとしない人が多いほどに「大したことはないんだ」と思い込んでそのままデスクで仕事を続けるといった、通常ならば考えられない行動をするのが、傍観者効果です。

 

小学校で避難訓練をして、地震がきたら机の下にもぐることを教わっても、実際に地震がくると視界の中にいる大多数の人がもぐるまで、または先生の指示があるまで机の下にもぐれなかったという人もいるのではないでしょうか。

 

なぜこういった行動が起こるのかと言えば、人は、「悪目立ちをしたくない」と思うからです。大したことがないのに大騒ぎをして、「あの人警察まで呼んだらしいよ」と後ろ指をさされたくない、「大げさに騒いで、みっともなかった」と言われ、恥ずかしい思いをしたくないと思うからです。

 

この傍観者効果は、信頼できる仲間や家族がいる時にはほとんど起こらず、むしろ助けようという意思が強くなる場合もあります。例えば、煙が出ているお店から飛び出し、消防者を呼んだとして、実はその煙が火事を起こすようなものではなかったとしても、家族や仲間うちであれば、「何もなくてよかったね」と、自分達の取った行動を否定せず、やるべきことをやったとお互いに行動を正当化し、納得できるからです。

 

しかし、内面を知らない他人が大勢いる状況や、気を遣う相手がいる場など、集団の中で同じ状況に遭うと、相手の出方を見ずには動けなくなってしまいます。つまり、空気を読みすぎた結果として、間違った行動や、好ましくない行動を取ってしまうことがあるということです。

 

こうした、傍観者効果は、通常の生活の中でも現れます。いじめや、無視、悪口といった人間関係の中の異常さを感じていても、それに対して行動をする人がいない限り自分も動けないといったことも、空気を読みすぎた結果です。

 

動けなかくなる理由は、恥ずかしいからや、自分が同じ目に遭いたくないから、または、そこまで相手に感心がないからなど様々な理由がありますが、「動きたいのに動けない」のは、他人の目を気にしているという証拠です。

正義の基準は人それぞれと知っているからこそ不安になる

正義の基準が人それぞれだというのは、集団の中にいればよく感じるはずです。

時間について、時間ぴったりに行動すれば良いと考える人がいれば、早めに行動すべきと考える人も、少しぐらい遅れたところでかまわないと思っている人もいます。

 

目の前で誰かが困っていても、そこで助けてあげることが相手のためになると思う人もいれば、助けてあげることは相手のためにならないと思う人も、自分と関わり合いの無い事には手を出さないと決めている人もいます。

 

そうした、色々な人の色々な考えが渦巻いている集団の中では、自分の意見を主張したり、自分の思うように行動する事は制限されるようになります。なぜなら、もしもそれが集団に受け容れられなかった場合に、自分が仲間外れになる可能性があるからです。

 

仲間外れになった場合、集団においては不利な立場に立たされます。これは、古い時代にも起こっていたことで、村で仲間外れになると、冠婚葬祭に参加できない、食料を分けてもらえない、大事な連絡を伝えてもらえないといった事が起こりました。

 

現在も、仲間外れ、と認識された場合にはほとんどこれと似たことが起こるでしょう。同じ場にいることを拒絶される、行事に参加しないように圧力をかけられる、みんなにあげているものを自分だけはもらえない、大事な連絡を自分だけには伝えてもらえないなどです。

 

人間の身体が、異物を外に出そうとするように、人の集団にも、自分達にそぐわないもの、合わないものは外に出そうとする習慣があります。これは、他と異なる考えや行動が広がって、集団が壊れ、そこに居心地良く生活していた人々が居場所を失うのを恐れるからです。

 

つまり、何を怖がっているのかは、仲間外れになっている人も、仲間外れにする人も同じなのです。居場所を失うのが、怖いということです。

 

正義や、人の意見や意思がぶつかりあうと、歴史的な革命が起こることもありました。実は、仲間外れになるような人は、他者とは違う行動を取れる人でもあるため、場合によってはその場に革命を起こせる人になる可能性があるのです。

 

しかし、革命を起こすほどの力を持つこと、少数派だった自分を中心に多数派を築きあげることは簡単なことではなく、強いエネルギーと意志が必要になります。

自分を正当化して生きるのは人間の基本的な防衛本能

恥ずかしい思いをして仲間外れになることを怖がるのは、共感性のある人なら誰でも持っている性質です。そして、人はその集団への共感性を利用して、自分の本心とは違うと感じる行動を取った場合でも、それを正当化するという行動ができます。

 

あの時あの子を助けるべきだった、と感じたとしても、「あの場では自分には何もできなかった」、「私がやるべきことではない」といった感覚を芽生えさせ、自分を正当化したことはありませんか?

 

こうした、自分を正当化するという行為は、自分を守る為に必要なことです。危機的状況や、倫理的に間違っていると思う行動や言動を目にする度に動いていては、事件や事故、いじめやハラスメントに溢れた世界では、ほとんど自分の身を犠牲にして生きるしかなくなってしまいます。

 

さらに、あまりに人を助けてばかりいては、都合の良い時に頼られるだけの人になってしまう場合もあります。

 

しかし、上記の、暴漢に人が襲われている、煙が充満している、人道に反するようないじめが行われているといった危機的度合いが高い状況では、心の奥で通常よりも激しい警戒が起こり、「ここで動かなくていいのだろうか」と迷うこともあるでしょう。

 

こうした場合には、他人の目を気にするのでは無く、自分が後悔しない行動をすることも大切です。

 

腹をくくった人間は、その後どれだけ恥をかこうが、人に何と言われようが気にならないものです。暴漢に襲われていると思ったら、実は演技の練習をしているだけだったと後で笑われても、煙が実はドライアイスだったとして笑われても、いじめの間に割って入ったことで自分も目を付けられたとしても、それでも、心がすっきりするというのが、腹をくくった人の行動です。

 

危機的状況において、一瞬で動く判断を下すことは難しい面がありますが、しかし、自分の心の中で、一定の基準を超えたと思う出来事があった場合には、「動ける人」である方が、後で後悔をせず、普段からここぞという時に動ける人として信頼されるようになります

 

誰もが、恥ずかしい思いをしたくないと思っているということは、率先して恥ずかしい思いをしてくれた人を尊敬する人もたくさんいるということです。笑われた時には、笑いを取ったくらいに思うようにすることで、ブレない、強い心を手に出来るようになるでしょう。

助けてもらいたいのに見て見ぬふりをされていると感じる時には自ら動こう

危機的状況は、何も他人にばかり起こるのではありません。自分自身が、事件や事故、いじめやハラスメントの被害者となることもあるでしょう。

 

周りの人が、「気づいているのに助けてくれない」と感じている人もいるかも知れません。

 

自分が辛い時や、苦しい時ほど、友人や家族が冷たく見えることもあるでしょう。

 

しかし、上述した通り、人は普通は自分を正当化することで、トラブルに巻き込まれないように、面倒なことはなるべく引き受けないようにして生きています。特に、上手に生きられる人というのは、無視すべき事をさらりと無視し、気にしないようにして生きている人です。

 

これは、人によってはとても高度な処世術で、神経過敏な人や共感性の高い人には難しい方法です。そのため、自分は相手が困っていたらすぐに助けるのに、自分が困っている時には人はなかなか気づいてくれないということも起こります。

 

そのため、もし、誰か特定の家族や友人に助けて欲しいのに、相手が気づいてくれないと感じる場合には、できるだけ分かりやすく、言葉で自分の状況を相手に伝えて、具体的に助けてもらえるようにする必要があります。

 

察する能力が高い人が増えている現代では、言わなくても分かるだろうと思っている人も増えていますが、言われない限り、または、言われても良く意味が分からないという人は大勢います。

 

ですが、ただまっすぐに、「助けて欲しい」と頼む人間を見捨てる人間は、滅多にいません。

 

助けを待っていても、相手が本当に気づいていない場合には助けてもらえることはありません。助けが必要な時には、自分から助けてもらいに動くようにしましょう。

 

中には、自分も含めて、いじめられた方にも責任がある、パワハラやモラハラをされるほうにも責任があると思ってしまう人がいますが、その場合には自分を過剰に犠牲にして、しなくても良い苦労をしていないか注意して下さい。

 

人は、少しでも「自分にも悪いことがあるかも知れない」と感じると、痛みを堪えて笑ってやり過ごそうとすることがあります。セクハラやパワハラ、モラハラなどによくあることですが、周りが見て見ぬふりをしているような状況では、自分が過敏に反応し過ぎでは、と”嫌”と思っても言えなくなる人もいるはずです。

 

しかし、小さな違和感や痛みは、少しずつ積み重なって、知らないうちに身体を、心を壊してしまいます。言いづらい嫌なことは、相手に正面切って伝えるだけが伝え方ではありません。友人や家族、人事や企業担当医、国の指定機関、メンタルクリニックなど、伝えられる場所はいくつもあります。

 

我慢はせず、見て見ぬふりをして欲しくない時には、必ず誰かに辛さを訴えましょう。そして、本当に辛いという心を、しっかりと相手に見せるようにします。

 

人は、誰もが社会の中で生きているので、365日、24時間ずっとたった1人の人を支え続けることはできません。しかし、お互いに支え合うことで、誰もが助ける側でもあり、支えられる側でもあるという上手なバランスを作ることができます。

 

根っこの心理の部分は、誰もが似ています。だからこそ、どんな時でも、伝え方や行動を工夫すれば、誰にでも共感してもらえる可能性はあるのです。ただし、ごく稀に、絶対に話が通じない人がいます。それが、相談相手であれば、相談相手を今すぐに変え、それが、立ち向かうべき敵であれば、今すぐに逃げ出しましょう。絶対に話が通じない人は、永遠に話が通じないというふうに割り切ることも大切です。

 

見て見ぬふりが、集団心理で起こる傍観者効果があることが分かった今、傍観者効果から脱却しやすくなったはずです。物事は、なるべく客観的に、自分の心理に踊らされないように分析し行動するように気を付けましょう。

タイトルとURLをコピーしました