将来への漠然とした不安や不満は「孤独・疎外感」となりつきまとう
いつも孤独を感じる人は「相手に理解されたい」という思いが強い人
物理的に人と引き離され、会いたい人と会えない孤独は、「寂しい」という感情です。寂しさは、誰かと同じ場所で空間を共有していないことに対して感じるもので、誰かと出かけたり、話をすることで解消できるものです。
一方で、「孤独」とは、誰かと居ても、誰かに話を聞いてもらっても解消しないもので、夫婦で生活していても、家族と一緒に暮らしていても、パートナーと時間を共有していても、孤独を感じる時間は突然訪れるものです。
こうした、社会的な人との繋がりの中でも感じる孤独は、心の奥底にある、相手に理解してもらいたいという想いが叶わないという状況で湧き上がってきます。
「自分の居場所はここじゃない」と感じると、人は孤独を感じます。それが集団の中でも、家族と暮らす家でも、ふと孤独は襲ってくるのです。
「自分のことを分かってくれていない」と感じる時にも、それが親友と過ごす時間でも、パートナーと過ごす時間でも、孤独は襲ってきます。
この孤独の正体は、「自分が向き合えていない自分自身」です。
たいてい、将来への不安、現状への不満など、自分が心の奥で抱えている不安や不満は、もやもやとくすぶって存在しているものの、はっきりとはその姿を見せません。けれど、心のどこかで不満や不安は湧き出ているので、そうした不安定な状態にある自分が抱えるイライラやモヤモヤが生まれ、それを相手が理解してくれないことで孤独を感じます。
こうしたイライラやモヤモヤは、「何だか分からないけど・・・イライラする。もやもやする」という、はっきりと言葉にはできない不安と不満として、自分の心を支配していきます。
原因がはっきりとは分からないので、友人と同じ時間を共有しても「感じる孤独」は消えません。
親友に「何だかいろいろうまくいかない」と不満をこぼしても、原因が分からないので「何か不安とか、上手くいかないとか、そういうこともあるよね」とまとめるしかなく、具体的な解決に結びつきません。
パートナーに「寂しい」と伝えても、時間を共有することで解決する寂しさとは違うことが原因のイライラやモヤモヤは、パートナーと一緒にいるだけで解決することはありません。
結局のところ、誰といても感じる孤独は、その原因を突き止めない限り突然襲ってくるものです。
誰も責めることができない不安や不満は、自分を孤独に追い込みやすい
未知のことに挑戦しようとしている時、人は不安を感じやすくなります。初めての仕事、初めての妊娠・出産・子育て、転勤、初めての海外生活などは、人を不安にさせます。こうした、どこに失敗の要因があるか分からない、結果うまくいくか分からない時に不安を感じるのは、人間の本能的な反応です。
不安があれば、人はそれを避けようと調べ物をしたり、具体的な準備をすることができるようになります。そのため、仕事に必要な情報を仕入れたり、出産や産後の準備を整えたり、新しい環境の情報を仕入れて準備を入念にすることができるようにするには、不安を感じる必要があるのです。
ただ、そうした具体的な行動に移せない不安や不満もあります。しっかりと準備をして臨んだ試験でも、もう試験が終わったからと気楽に待てる人がいる一方で、結果が出るまでは、不安な日々にイライラ、ピリピリする人もいます。どれだけ入念に調べものや準備をしても、それでも何か予定外の事が起こるのではないかと不安が襲ってくることもあります。
こうした、周りの人のせいではなく、自分のせいでもなく沸き起こる不安は、誰に話しても解決するものではありません。時間が経つのを待たなければならない不安は、ただ時間を待つしか解決方法がなく、そのため、不安やモヤモヤが生まれることを防ぐことができません。さらに、自然災害や戦争の心配、遠い未来の不安といったもっと漠然とした大きな不安に襲われている場合には、そこから感じる不安やモヤモヤを人と共有して解消することはさらに難しくなるでしょう。
人生に感じる不安やモヤモヤは、人を孤独に追い込んでいく
仕事を開始する時、子育て中、転勤、海外への移住といった、比較的長期にわたるものの時間が経てば慣れることや解決が予想できることでさえ、時にはどうしようもない不安による孤独を引き起こしますが、常に孤独を感じてしまう人、いつも誰にも理解されないと感じる人は、人生そのものに対して常に不安や不満を抱いている可能性があります。
具体的な解決策は見えないものの、現状が不満であったり、これからどうなるのか分からずに不安だと感じている人は、他の人々が一見「何の問題もなく毎日を過ごしている」ように見えてしまい、自分だけが不安で辛い毎日を過ごしていると感じやすくなります。
人生そのものに不満がある、不安がある人にとっては、問題の解決は時間を待てばやってくるとも限らないため、孤独を感じる力がどんどん強くなっていきます。そうして、自分は誰にも理解されない、絶対に分かってもらえないという感覚だけが強くなり、それまで一緒に過ごしてきた家族やパートナーや友人さえ信じられなくなり、自分から孤独の方向に突っ走ってしまうことがあります。
相手が熱心に耳を傾けてくれても、「どうせ分かってはもらえない」と感じ、誰かがかけてくれる言葉に「的外れ」と感じ、一緒にただそばに居てくれる人に「一緒にいるだけじゃ何にもならない」と感じる。
ここまで孤独が強くなると、それは、孤独によって人生が悪い方向へ動かされはじめていると言えます。
相手の方も、どれだけ一生懸命に相手に向き合っても「孤独だ」と言われてしまうので、だんだん相手にするのが辛くなり、離れていくこともあります。
しかし、こうした解決の見えない不安や不満による継続的な孤独は、「人生の目標や目的が失われている」から起こることです。そのため、解決することができるのは、他でもない孤独を感じている人自身しかいないのです。
思い通りの反応がないことで感じる孤独は「自分本位」になっている証拠
自分本位というのは、自分が中心になり過ぎている状態です。人生に対して感じる大きな不安が原因で、誰が何を言っても、何をしても虚しく感じたり、孤独を感じるのだとすれば、それは、自分を中心に物事を見過ぎているからかも知れません。
優しい言葉や、自分を救ってくれる言葉を待っていたり、自分に道を示してくれるようなメンターのような人を待っている状態になってしまうと、雷に打たれるような衝撃的な言葉以外は、たいくつでつまらない言葉や、意味のない言葉に感じてしまいます。
自分が心で思い描くような「何かとてつもなくすごい言葉や出来事」を欲してしまうと、周囲の人々の言葉や行動のほとんどは「的外れなつまらないこと」に感じるようになります。
自分の将来、自分の未来や現状が不安な一方で、そこから生じる不安や不満を「誰か他人に助けてもらいたい」と思う人は、どうしても孤独を感じざるを得ません。
なぜなら、「誰かに助けて欲しい」と、他人を求めているのに、その救世主的な人は永遠に現れないからです。
孤独から救いだして欲しいと感じている人にとっての「救世主」のイメージは、ほとんど「神」のような存在になっています。ほんの少し手助けしてくれる程度の人は、助けてくれる誰かとして認めないため、自分が思い描く救世主が現れることはないのです。
人は、「誰か」を求めなければ、そもそも孤独は感じません。
孤独を感じるということは、心の中で人に対して「助けて」という合図が出ているということなのです。
一人で過ごす時間しか持たない人で、他人から見て孤独に見えるけれど、全く孤独でない人もいます。こういう人は、「将来に不満や不安があっても自分で解決できる人で、一人でいることに不安も不満もない人」です。
つまり、誰かといても感じてしまう孤独は、自分の内側から生まれる不安や不満を解消してくれる人がいないという孤独なのです。
「助けて」の原因を発見して対処することができなければ孤独はつきまとう
人生の転機には不安や不満はつきものです。そういう意味では、一時的に感じてしまう孤独とはうまく付き合うしかありません。
「分かる」「それだよ」と言い合える友人や家族と共有したり、同じ悩みを持つコミュニティに参加して感情を共有することで不安や不満を分散させたり、有益な情報を集めていくことが大切です。
けれど、強い孤独、誰かに助けてもらいたいけれど誰も助けてくれないという孤独は、「それを引き起こしている原因を探して対処」しなければいけません。
人生において人は、「自分がしたいこと」と、「人の役に立つこと」と、「適度な休息」をバランス良く保たなければ、心に不満や不安が蓄積してしまいます。
自分のやりたいことばかりやっていても、それが人の役に立たず、休息に繋がらない場合、いずれはこれで良いのだろうかという悩みを抱えるようになります。ゲームばかり一生やって過ごしても、純粋に楽しいと思い続けることは難しいでしょう。(ゲームの解説をyoutubeで行うなど、他者に有益な情報を提示して対価を得た上で、生活に困ることなく、休みもしっかり取れる場合には、ゲームばかり一生やっていても楽しい時間を過ごせます)
一方で、人の役にたつことばかりしていても、「自分ばかりが苦労している」という気持ちが強くなっていきます。適度に人に助けてもらい、自分のやりたいようにやることが必要で、休む時間も絶対に必要です。
強い孤独を感じる人は、このどれかが欠けている可能性が高いです。もしかしたら、全てが足りていないかもしれません。自分がしたいことが何なのかが分からない。人の役に立つことができていない。休息が無さすぎる、または休息の時間ばかりになっている。
一生ずっと、四六時中誰かに頼らないと生きていけない人生は、自信を生まず、不安や不満に立ち向かう気力を奪います。強い孤独を感じる人は、何でも挑戦して、自分のやりたいことが何かを見つける努力や、人の役に立ちそうだからやってみたいと思うことをやってみて、適度に休息を取ってみましょう。
自分が動いてみると、孤独を感じる暇もなくなるものです。パーティーなどの集団の中で孤独を感じたら、「ここで何か面白いアイデアをもらえないだろうか」と考えて、積極的に人の話に耳を傾けてみたり、家族やパートナー、友人との時間の中で孤独を感じたら「楽しいことでもしよう」と、遊びに出かけたり、漫画を読んだりゲームをしたり、スポーツをしてみたり。
家事を手伝ってもらえない、言葉遣いに傷ついたといった具体的な不満から出る孤独感ではなく、ただ何となく不安で孤独を感じている場合には、何かに夢中になることでその孤独は去っていきます。
「孤独」に自分の中に留まることを許してしまうと、「孤独」はただただ強まるだけです。具体的に動いてみる、解決しようと努力することでしか、大きな不安や孤独は去っていきません。
もし、具体的に何からしたら良いか分からないという場合には、まずはモチベーションを高める本や動画などを参考にしてみると良いでしょう。空から突然救世主が降ってくるのを待つよりは、先人の知恵を借り、優れた本を読んでみると、「やる気」と「夢中になれること」が孤独を感じる時間を奪い去ってくれることに気付くはずです。
自分本位になって他人が自分のために動くのを待つのではなく、自分の人生に自分から努力して夢中になることが、孤独から解放される道です。自分の人生を面白おかしく指揮できるのは、たった一人、自分だけです。自分のやりたいことを書き出して挑戦しながら、暗い気持ちになる時には笑える漫画や動画を見て、楽に過ごすようにしましょう。