誰にも理解されない、受け入れてもらえないと感じる人に必要な行動
みんなと違うという意識が強くなるほどに強く孤独を感じるようになる
人は、理解してもらえるだろうと期待していた人に理解してもらえない時、受け入れてくれるだろうと思っていた人に拒絶された時、孤独によって寂しい・辛い・苦しいと強く感じます。
一人になりたくて一人でいる状態は、孤独であっても寂しさはありません。好きな事をしていれば、孤独とさえ思いません。つまり、一人でいること=孤独ではないという事です。
一人でいてふと感じる孤独は、集団で満たされている人々を見て羨ましいと感じた時であり、自分自身のことに没頭している時には、一人は寂しいものではありません。
つまり、集団の中にいても、集団の中で満たされていない場合には、大きな孤独や寂しさを感じます。
人と違う部分が多いと感じるほど、孤独感は強まります。外国で言葉が喋れない時や、習慣が分からない時に大きな孤独を感じるのは、人と違う自分という意識が強くなり、集団の中に溶け込めないことに不安を強く感じるからです。
人に分かって欲しいのに理解してもらえない時、子供であれば癇癪を起こしますが、大人であっても、心の中には癇癪を起こしたくなるほどの不安や苦しみを感じるものです。
例えば恋人同士が、同じ絵を見て、同じ景色を見て、同じ体験をした場合に、同じ感想が持てなかった時には、どことなく不安を感じたりすることがあります。違う考え方をすること自体が魅力と思っているカップルは別ですが、多くの恋人関係においては、全く相容れない感想を持った場合、互いに対して不満を感じるものです。
自分が大好きな音楽をパートナーに聴いてもらった時に、「耳が腐る」と言われれば、間違いなく腹が立つでしょう。この場合、言い方に問題があるのはもちろんですが、言い方が例えば「好みじゃないかな」であったとしても、残念には感じるはずです。
〝一緒である〟ことに魅力を感じるのは、恋人同士だけではありません。学校や職場、趣味の場においても、〝一緒〟を感じられる人ほど親しいと思うようになります。
しかし、もしも、自分が好きと思うものを仲間の誰もが嫌いで、自分がおすすめする物に仲間の誰もが感心がなく、自分の行動によって仲間がイラついているのが分かったとしたら、どんな気持ちになるでしょうか。
「みんなと違う」という感情は、積み重なるほどに孤独を強めていきます。
趣味が違う、共通の話題がない、好きな遊びが違う、真面目さが違う、時間の使い方が違う、習慣が違う。あらゆる違いが増えるほど、集団内での「違いに対する意識」が強まっていきます。
そして、こうした「周りと違う」という思いは、時には自分の人生を大きく変えるほどに、強い孤独を生み出してしまいます。
孤独によって人生がめちゃくちゃにならないように注意しよう
孤独を感じ、誰も助けてくれないと思うようになると、どうにかして周りを振り向かせようと必死になりますが、その時期も過ぎると、周囲などどうでも良いと考えるようになって周囲に無関心になったり、場合によっては周りに危害を加えるようになることがあります。
孤独が強くなり過ぎ、かえって自分は特別な人間なのだと思い込むようになると、理解できない周りがおかしい、と考えるようにもなります。
例えば、あらゆるものに敏感な人は、嗅覚や聴覚、触覚などが敏感であることが多く、他人には聞こえない音に反応したり、臭いに苦しんだりすることがあります。また、他人とは違う感性を持つ人は、ハッピーエンドの物語に哀しさを感じたり、美しい物を醜いと思う事があります。
しかし、一般的に美しいと思われるものを指して、「あれは気持ち悪いものだね」と言い、誰もが感動で涙を流している場面でげらげら笑い出したとしたら、当然、周りの人間からは変な人として疎まれるようになるでしょう。
孤独を感じる人の中には、持っている感性が独特過ぎて周りが理解できないことがあります。そして、その独特な感性ゆえに、周りに理解してもらう努力が苦手な人もいます。
そうなると、感じている孤独はさらに強まり、〝理解できない周りがおかしい〟〝理解できない周りが悪い〟という思考回路が出来上がってしまう事があります。
他の人が理解してくれないこと、理解できないことの多くは、単に周りの人間に違いを理解する能力がない場合と、理解できるように説明する努力が足りない場合がほとんどです。
もちろん、どんなに努力して相手に伝えようとしても、理解しがたいことを信じている人に対して、他人が理解を示せない結果として差別が起きることもありますが(宗教観の違いによる戦争など)、それよりは、周りの理解が追いついていないか、理解してもらえるような振る舞いをしていないかのどちらかが原因で相手が理解していないという場合が多くなります。
孤独によって心の内側に引きこもってしまい、無口になったり、人を無視するのが当たり前になると、他人はますます孤独な人の心が理解できなくなります。基本的には人は、言葉で表現されたことや行動で表現された分かりやすい物事しか理解できないからです。
つまり、孤独に苦しんでいる人が最もやってはいけないのは、誰も理解してもらえないからと、口を開かなくなること、他人に理解してもらう努力を止めてしまうことです。
例えば、周囲には理解してくれる人がいなくても、SNSや留学や旅などを通して、わずかながら同士と言える人が見つかる可能性があります。すぐ傍には理解してくれる人がいないというだけで、世界中の誰もが孤独で苦しむその人のことを理解できないという事ではありません。
それにも関わらず、口を閉ざし、孤独によって感じる苦痛や悲しみを自分の中に背負ってしまうと、いつしか他人に対する恨みや憎しみまで生み出してしまう場合があります。
自分だけで答えを出し続けると、人は自分に都合の良い答えばかりを出すようになります。そして、他人が悪いという結論を出してしまえば、暴力や殺人といったどんなに傍若無人な振る舞いでも正当化できるようになるでしょう。
孤独は、放置しておくこと、自分の中だけで孤独を強めることに大きな危険があります。孤独を感じたら、家族や友達以外で良いので、外の誰かに向けて発信してみたり、留学や旅に出て居場所を変えてみたり、自分の助けになりそうな本を読むなどして他人の意見を取り入れるようにしてみると、孤独の感じ方が変わってくるでしょう。
特別な感性を上手に生かせるように自分をコントロールする
孤独を感じる人の多くが、「自分は他人とは違う」と思っている部分があります。自分は人と違うと感じる場合、違っていることが嫌だという場合もありますが、「どうして他人は自分を理解してくれないのか」と悩んでいる場合は、違っている自分の考え方が正しいと思っている場合に起こります。
他人と意見が違ったり、見方が違うことをただ恥ずかしいと感じていたら、人はそれを改めようとします。しかし、自分の見方もアリではないか。自分の考え方の方が優れているのではないかと考えているとすれば、自分を改めるより、自分を他人に理解してもらいたいと思うようになります。
ただ、違う度合いが大きいほどに、理解してもらおうと正面からぶつかると、差別や迫害を受けることがあります。ソクラテスも、ガリレオ=ガリレイも、自分の考え方を信じて殺されたり、異端者扱いされたりしました。一般的に信じられている事とは違うことを主張すれば、笑われたり、嫌われたりする可能性が高いということです。
これは、他の人達の安全な領域を侵そうとするからこそ起こることです。ダーウィンは、サルから人が進化したことを示す進化論についてのアイデアは、かなり若い頃には心の中に抱いていました。しかし、それを発表したのは晩年になってからです。
これは、進化論のアイデア自体が巻き起こすであろう論争を予見できたからです。時を間違えれば、魔女や魔法使いとして殺されたり、仕事を奪われたりするのが、「他人には理解できないことを主張する人」への仕打ちです。
自分とは全く異なる考えの人が、どの手順で物事を知ればすんなりと受け入れたり賛同してくれるのかを考えなくては、今までの習慣や一般的な考えと違うというだけで大きく否定され、笑われることになります。
今まで人が気持ち悪いと思っていたものを美しいと思わせるにはどうしたらいいのか、今まで人が当たり前と思っていた常識を覆すのにはどうしたらいいのか、暴力や強い主張の言葉では、無理矢理美しいと言わせることはできても、心から美しいと思ってもらうことはできません。
孤独に悩む人には、他人と同じ道を歩まなくても満足したり、楽しいと思える場所がある可能性も高く、「他人との違い」を上手く受け入れられるようになれば、孤独な人は強い武器を持って生きられるようにもなります。
どうして理解してくれないのかではなく、どうやったら理解してもらえるかを工夫する方が、自分自身の能力も高まり、人々の間での振る舞い方も身についていきます。
本当に周りに理解してもらいたいと考えるのであれば、理解されるための工夫が必要であり、本当の仲間が欲しいのであれば、世界中の人々や、過去に記録を残してくれた先人達の中に仲間を探してみましょう。
そうするうちに、自分は本当は何を人に伝えたいのか、どこまで理解してもらえると満足できるのか、そして、自分自身が他人の事を理解しようとしてきたかを考えるようになり、自分なりの世界が見えてきます。
寂しい孤独、苦しい孤独、辛い孤独は放っておいてはいけません。諦めてしまうことが、何より孤独を強めてしまうからです。数年で見つからなくても、一生のうちにいつかは自分なりの答えが出ます。同じ方法ではなく、あらゆる方法を探しながら、分かってもらう努力や、仲間探しを続けましょう。