『君たちはどう生きるか』のストーリーと「生き方」のヒントまとめ

君たちはどう生きるか あらすじ ネタバレ 知識/教養
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『君たちはどう生きるか』のあらすじと生き方を決めるためのヒント

『君たちはどう生きるか』を読むと自分の力で生き方を決める方法が分かる

吉野源三郎氏により戦前(1937年)に発行された『君たちはどう生きるか』は、現在まで読み継がれる本となっていますが、この本には「自分の頭で物事を考えて、人類全体を幸せに導く道を選べる人間に育って欲しい」という希望が込められています。

主な登場人物

コペル君(本田潤一)主人公の中学二年生。成績優秀。背はガッチンと、1、2を争う小ささで細身。人を笑わせるタイプのいたずら好きのために学級長には向かないタイプ。父親を亡くし、優しい母とばあやと女中と暮らしている。

叔父さん:コペル君の母親の弟。大学を出てすぐの法学士。コペル君の父から頼まれたこともあり、コペル君を人徳のある立派な人間にしたいと考えている。

水谷君:コペル君の小学校時代からの同級生で友人。少女のように内気で、美しい顔をしている。大きな邸宅に住んでいる。

ガッチン(北見君):コペル君と背丈を争う小ささではあるが、体つきががっちりした、遠慮なく物を言うタイプの同級生。父親は陸軍にいる。「誰がなんてったって・・・」が口癖。

浦川君:豆腐屋の息子。中学校に通わせてもらえているが、家業が忙しいと学校を休まなくてはならない。他の中学生と比べると貧乏。油揚げばかりのお弁当をからかわれている。勉強も運動も苦手。漢文は得意。

かつ子さん:水谷君のお姉さん。文武両道。はっきりと物を言うタイプ。

ものの見方が違うと、人生観や世界観はがらりと変わるという教え

物語は銀座のデパートの屋上からスタートします。コペル君の目には、道を行き交い、ビルの合間に吸い込まれていくたくさんの車が映っていました。そこから蠢くカブトムシを連想したコペル君は、「潮が満ちては引いていく」ように人々は郊外と東京を移動すると表現した叔父さんの言葉から、人間の移動の様子を「水の分子」のようだと認識します。

 

叔父さんは、真剣な面持ちでそう言ったコペルに、彼の成長を感じながら、彼に宛てたノートに言葉を記すことにしました。

そこには、視点を変えることの重要性が綴られています。長く信じられていた“地球こそが宇宙の中心”という考えは、方角を知らない幼い子供の「あたしから見てあっち」という物の見方であり、例え自分の目にはそうは見えなくとも、コペルニクスの地動説のように、事実の視点を持つことこそが、「大人」の思考であると叔父さんは訴えます。

しかし、そうした自分中心でない物事の見方は、いつでも自分を中心に考えたいと思い、自分の損得ばかり考える人間にはとても難しいことです。

自分中心の物の見方は、本当の真理への道を見失わせるからと、叔父さんは、コペル君に自分は世の中の1分子であるという感覚を大切にして欲しいと願います。そして、一歩大人になった自分の甥っ子に、「コペル君」というあだ名を付けたのです。

自分が心に感じたことを誤魔化すことなく真実を見つめる視点を持とう

コペル君は、あまりに頑固で融通が利かないこともあり、ガッチンこと北見君には苦手意識を持っていました。しかし、自分が絶対に間違っているという場面では、「誰がなんてったって・・・」の後に「自分が間違っている!」と言い切る北見君に好感を持ちはじます。

さらに、クラスの山口君にお弁当をからかわれたり、恥をかくように仕向けられるといういじめを受けていた浦川君をかばって山口君に殴り掛かったガッチンの姿と、その後先生に「何があったか説明しなさい」と言われても、自分からは決して告げ口をしたくないと、浦川君のいじめについて何も言わなかったガッチンの姿勢に心を打たれたコペル君は、ガッチンと、水谷君とともに仲良くなっていきます。

 

その話を聞いた叔父さんは、コペル君が、嘘や誤魔化しのない友人に感銘した事を嬉しく思いながら、科学や数学や哲学は学ぶことができても、真実に物事を知るということは、自分が本当に感じたことや心を動かされたことの意味をしっかりと考え、その奥底にある、しっかりと根を張った「自分の思想」を見つけなければできないと言いました。自分が体験して感じたことを、正直に考えて消化していくのは実はとても難しいことで、人は、自分の本当の感情を消してしまうことも多いと注意を促します。

 

そして、「立派な人間になる」とは、世間にとって非の打ちどころのない人間になるとことではなく、世間からは指さされない程度で良いから、「立派な人間とはこうである」と、自分で考え、見つけ出した姿になることが肝心だ、と言います。世間の目に対して立派に見えるようにしているような人は、自分を失っている人だから、そうはなってはいけないと念を押しました。

人類のためになり、人から尊敬される人間になるにはどうしたら良いか

ある日、水谷君と北見君がコペル君の家で遊んだ帰り道、3人は叔父さんからニュートンの話を聞きます。

 

リンゴが落ちた、というところから、リンゴは何メートルの高さからでも落ちてくるだろうか、と考えたニュートンは、しかし月は落ちてはこないという事実から、月の高さからではリンゴは落ちないはずだと考えます。そこに地球と月の間の引力があることに気づき、地球の重力と、月の引力とは同じ性質の物だと確信したニュートンは、実験を繰り返しながら物理法則を確かめていく・・・・・。

 

叔父さんは、ニュートンの発見について話ながら、思い付きの力と、それをそのままにせずに人類の役に立つように形にしたことに感動すると言いながら、「あたりまえになってしまっていること」を、とことん考え、そこからあたりまえではないこと、を発見することは素晴らしいことである、と伝えました。

 

その話を聞いた後、あれこれと頭を巡らせたコペル君は、自分にとっての発見をします。分子のような人間たちが、網目のようにつながって、互いに支えあっていることを発見したのです。

自分の手元にあるものは、無数の人の生産と労働の結果ということに気づいたコペル君に、叔父さんはそれは「生産関係」と呼ばれるものであると伝えます。

 

中学生や高校生、大学生になって自分の頭にぱっと浮かぶ新しい真実は、たいていの場合、既に発見されているものです。しかし、そうした既に発見されたものごとを、自分から思いつくことや、本や体験を通じて学び続け、積みあがった山のような人類の英知の頂上に立つことができれば、そこで初めて新しい土を積んで山を高くすることができます。

 

叔父さんは、「人類にとってのはじめての知」への貢献をすることこそが、万人から尊敬される発見だと言いました。

世の中に何かを生み出す人になろう。自分の存在に価値を見出そう

風邪で数日学校を欠席する浦川君のことが心配になったコペル君は、彼の自宅である豆腐屋を訪ねます。お世辞にもきれいとは言えない長屋の商店街に辿り着いたコペル君は、そこで金銭の工面に出かけた父に代わり懸命に働く浦川君を見つけました。

女中が居るような家で暮らすコペル君にとっては、食うに困るほどではないものの、「貧困層の家」としか目に映らない浦川君の家にびっくりしますが、そこでたくましく働く浦川君の母や、同級生が職人らしく事も無げに油揚げを上げていく様子を見て、すっかり感銘を受けました。昼になると居眠りをしてしまう浦川君が、早朝に起きて商売の準備をしているからだということを知ると、勉強に協力したいという気持ちがこみ上げ、コペル君は浦川君の勉強を手伝うことを申し出ます。

 

その話を聞いた叔父さんは、学校では仲間外れにされている浦川君に対し、やさしさを持ち、貧しいということで差別しなかったコペル君に胸をなでおろします。実際、既に「労働者」として世の中の生産の一部を担っている浦川君は立派であるとした上で、勉学に専念する時期はあっても良いが、消費を専門とするのではなく、誰もがいつかは何かを「生産」して人類に貢献するべきである、と言います。

 

ただ、貧乏は想像以上に辛いもので、衣食住が立派だからといって、それがその人を立派にする訳ではないと頭でわかっていても、貧乏は、人を卑屈にし、恥を感じさせやすく、本当に金銭に動かされない生き方は、そう手に入るものではないから、貧困については改めて考えるべきだと促しました。

 

同情することはできても、真の貧乏という体験は、やってみなければ分からず、浦川君の家のように学校に通えて、商人として店を持っている家は、本当の貧乏とも言えないのだと言い、世の中の本当の貧しさは、もっと不運で不幸なものであるとし、人類はまだ全体としての豊かな暮らしには到達していないため、それはこれからの人類の課題だと言います。

 

「めったにないこと=有難し=ありがたい」という言葉を胸に、自分の今ある立場の有難い面に目を向けて欲しいとコペル君に言い、そして、それでもなお、人は、自分が何一つ生産をしないでも、何かを生み出しているものでもあるから、それを発見して欲しいと伝えます。

 

「ただ存在してくれるだけで嬉しい」という相手がいる人は幸せです。何も生産できないと考えている人も、そこに居るだけで人を幸せにすることはあります。どういう判断基準で価値があるとするかは人それぞれですが、何者でもない、何も生まない自分にも何かの形で価値があると思えることも、とても大切なことです。

英雄になることを目指すのではなく、英雄的な行いをするように生きること

浦川君に興味を持った水谷君は、ガッチンとコペル君と浦川君を邸宅に招待します。そこには、水谷君のお姉さんであるかつ子さんも居ました。「英雄ナポレオン」に心酔していたかつ子さんは、英雄的な行いについて、あれこれと話をします。そして、たまたま級友の話をしているうちに、ガッチンが上級生から目を付けられていることを知った水谷君、浦川君、コペル君は、かつ子さんの後押しもあり、「もしもガッチンが上級生に因縁を付けられたら、殴られようとも絶対に同じ場所に居て、同じ目に合う」と約束します。

 

貧困貴族として蔑まれた過去を持ちながら、24歳を過ぎてからフランス革命に乗じて戦争の指揮官として名を馳せたナポレオンは、皇帝にまで登り詰め、栄光の10年を過ごします。しかし、自分の権力と実力を誇示したいがために、大志なき戦争であるロシア遠征を行ったナポレオンは、寒さと飢えにより数十万人規模の兵士を死に追いやってしまい、その後は没落の人生を送りました。

 

立ち上がろうとする士気のある、「自ら戦うことを決めた人たち」を率いてリーダーになることと、誰も望まないにも関わらず、自分の権力を保持するためだけに「無理やり人々を自分に従わせる」リーダーでは、戦争でも何でも、結果は全く違うものになるだろう、と叔父さんは警鐘します。そして、人類の進歩に役立つことをした人=英雄であり、それは一人の人物に対しての賞賛の言葉ではなく、あくまで「役に立った出来事」に対しての賞賛であると言いました。さらに、人類の進歩とは結びつかない、英雄のように見せかけた蛮勇は虚しいものだとしながら、「善良な人であっても、英雄的な精神が欠けている人」もまた、虚しいものだと伝えます。

 

見て見ぬふりをしたり、肝心なところで声を上げて仲間を守ることができないような人。何に対しても良い人の顔をしてへらへらとやり過ごし、自分のために奮い立って抵抗をしない人。そうした人は、いくら善人であっても、周囲に対してマイナスな影響を及ぼすことがあります。

 

そんな人に、コペル君にはなって欲しくないと考えていた叔父さんでしたが、ある雪の日、上級生がガッチンに突っかかってくる事態が現実のものとなると、コペル君の中から臆病者が顔を出してしまいました。殴ろうとする上級生の盾になった水谷君、浦川君とは違い、コペル君は、肝心なところで勇気が出ずに遠巻きからそれを眺めているだけ、まるで彼らの仲間ではないような振りをしてしまいます。

 

そのまま、雪の中に立ち尽くして、去っていく友人を見送ったコペル君は、翌日から風邪をこじらせて寝込んでしまいました。「みんなで北見君を守る」という約束を破った自分に対する後悔と不安から泣いてばかりいるコペル君。何度も何度も、「うまく言い訳をして許してもらう方法」を考えてしまいます。そんなずるい自分も嫌になった頃、ようやく叔父さんに心の内を打ち明けたコペル君に、叔父さんは喝を入れました。

 

「やったことが間違っていたのなら謝罪しなさい。そして、その先のことは自分が決めることではないのだから、許してもらえるかどうかなど、気にしてはならない」と伝え、手紙を書いてすぐに謝るように促しました。

 

奪われたことがなければ、それが大切だとは気づかない。後悔したことがなければ、それがしてはいけない行いだとは気づかない。誰もが、苦しみ、悲しみ、後悔する。でも、だからこそ、幸せを感じ、好きなものを知り、選び取っていける。

 

そう言ってコペル君を励ました叔父さんと、いつも優しく見守るお母さんのおかげもあって、コペル君は元気を取り戻していきます。その後、水谷君、北見君、浦川君が家を訪ねてきてくれたことで、彼らがコペル君のことを怒ってはいないこと、水谷君の父や北見君の父、浦川君の母親が学校に乗り込んで大騒ぎだったことを知りました。そして、今度こそ友を守れる自分にいなると誓い、友情を取り戻します。

 

こうして、コペル君は、「自分はどう生きるか」を真剣に考え、決定すると、コペル君の物語は終わります。

 

人として生きる上で大切なことを伝えるために書かれたこの本は、「どうやって生きていけば良いのか」悩む人の指針になる本の一つです。

 

現在に合わせて内容が修正されていることもあり、すらすらと読める作品であり、古くなることのない大切な人の精神についてが描かれています。漫画版もあるので、読みやすさを重視したいという場合には、漫画版を見てみるのも良いでしょう。

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