【ジョン・ロック】国の主権者は王ではなく「市民」であるとした経験主義者

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ジョン・ロックは感覚によって意識が生まれると考えた経験主義者

『人間知性論』と『統治二論』で個人の成り立ちと「国」について考察した

1688年に名誉革命が起こり、王政の下での議会制度が確立すると、身分的な秩序が崩壊し、「神から主権を賜っている国王のもの」という考えがあった「国」が、「国を構成しているのは市民であり、そのまとめ役が王」という考えへと変化していきます。この頃から、ロンドンの人口が大幅に増加し、首都として発展していきますが、この当時の社会思想家として有名なのが、トマス・ホッブズとジョン・ロックです。ここでは、ジョン・ロックの思想について確認します。(ジョン・ロックの思想にも影響を与えたトマス・ホッブズについてはこちらを参照下さい

ジョン・ロック(1632~1704)イギリス

ジョン・ロック 思想 統治

 

ホッブズより半世紀遅れて登場した思想家であるジョン・ロックは、立憲君主制が成立するきっかけとなった名誉革命の時の思想家です。『人間知性論』では、人間の知識が経験によって得られる過程を解明し、『統治二論』では、近代国民国家の理論的基礎を確立させました。

 

合理主義から感覚に訴える経験なしに意識は存在しないとする「経験主義」へ

ソクラテスやプラトン、デカルトに代表される合理主義者は、理性が知識の源であると考えましたが、18世紀になると、合理主義に対する批判が生まれるようになります。そして、この頃には、多くの哲学者から、感覚的な経験がなければ、意識の中にはなにも存在しないと考える「経験主義」が生まれました。

 

「感覚の中に存在しないものは、意識の中に存在しない」と言ったのはアリストテレスですが、経験主義の立場では、生まれながらに人が持っている観念は存在しないと考えます。そこでロックは、人間はどこから観念を得るのだろうかということと、感覚が自分に伝えるものを信じてもいいのかということを考え、『人間知性論』に記しました。(アリストテレスの思想についてはこちらを参照下さい

 

ロックは、自分たちが持っている思考の中身や考え方というのは、全てがこれまでに経験した感覚の反映であると考えました。はじめは何もないところに、感覚によって世界を見出すようになり、五感を使った感覚による単純な「観念」をつくる。そこから、考えたり、理由を付けてみたり、信じたり、疑ったりが繰り返され、受け取った感覚を整理して、加工することで、意識がはっきりとしてくると考えました。

 

私達が認識する確かな物は、複合感覚と呼ばれ、単純な感覚の組み合わせで理解されます。例えば特定の果物であるりんごについて、初めて食べた時にはそれが何かを理解していないけれど、何度も食べることを繰り返し、名前を聞かされるうちに、酸味があり、甘みがあり、汁気があり、外見が赤く、中が白いのがりんごだと、複合的に理解します。ここから、単純な感覚が集まって、複合感覚ができるということから、反対に言えば、単純な感覚である「甘い」とか、「赤い」とかが存在しなければ、そうした知覚は偽物ということになります。

 

ロックは、人が受ける感覚を、「第一性質」と「第二性質」に分解しました。第一性質とは、重さや形、数や動きといった、万人に共通に理解されるものです。一方で、第二性質とは、甘さ、酸味、色、温度といった、人によって受け止め方が異なるものです。

 

その上で、第一性質は、物そのものの性質であり、第二性質は、それを知覚する側の人間の個体の感覚器官に依存して決まるものであるとしました。

 

このように、経験的に知が生まれると考えていたロックですが、合理主義的な面も持っていたロックは、はじめから人の間にある自然法について考え、人には倫理感が備わっているとも考えています。そして、人間の理性には、神が存在するという認識があり、そもそも、「神」という観念が、人間の理性から生まれたと考えました。

 

ロックにとっての思想的な関心は、ホッブズと同じく、対立している勢力同士(市民と貴族など)の内戦状態を終わらせ、個人の権利が確保された上で平和と安全が続く国家にするにはどうしたら良いのか、ということでした。

 

ホッブズは、王に全権があるという絶対王政を受け入れたまま思想を終わらせていました。しかし、ロックは、ロバート・フィルマーによる「王権神授説」を背景にした、神から授けられた絶対的な権力を持つ王による専制政治を否定し、国民の権利を擁護する立場に立ち、国民の合意による政治社会を創りたいと考えていました。時代が少し進んだことで、考え方が変化してきた様子が見て取れます。

ロックは自然状態でも個人が理性により自然法の規律を守ろうとすると考えた

個人が自由に振る舞うことで対立が生まれてしまうほどの状態を、ホッブズは自然状態と呼びました。個人に対する制約がないことで、万人の万人による闘争(戦争)が起こってしまうとされた状態です。ロックもまた、自然状態について考察しますが、ロックが考える完全に個人が自由な自然状態は、ホッブズのそれとは異なる面がありました。ロックにとっての自然状態とは、個人が自分にとってこれで良いと考えるように動くことができ、他人の意志には依存しない状態を意味していて、誰もが「権利的に平等」な状態であり、個人は、他の人より多く何かを持っていることがない状態でした。

 

ロックは、自然状態において人が他者を排除するような排他的行動を取るとは考えておらず、自然状態であっても、他人の生命や健康、自由や財産を傷つけることは許されず、誰もが、自己保存の権利を平等に有していると考えました。この、自然状態における、個人個人があらかじめ持っている自由と平等を共存させるための規律が、自然法であり、これは人間の本性の中にある理性であると考えました。

 

自然法が、理性によって一般的な個人同士の規則として「自然発生的に出現」してくると考えたホッブズとは異なり、ロックは、自然法が普遍的な法則として社会ができる前からあるものと考えました。ロックにとっての自然法は、守るべき規範的な性格を持つものであり、命や所有物、権利の保存のために行う自分の自己保存の行為と、他人の自己保存の行為を両立させ、共存させるものでした。

 

自分が、「そうしたい」という気持ちのままに、自分の力を使える「個人の自由」があることを自然権と考えたホッブズとは異なり、ロックは自然法において自分と他人が共存するための相互的な権利として自然権があると考え、「自分を守るために」自然権を持つのではなく、人が、「自分だけでなく他人の権利も守るために」自然権を持ち、人は、常に自分と他人の共同性を考えているという立場を取りました。

 

ロックは、自然権には、犯罪を罰する行為も認められていると考えました。つまり、自然法の段階で、違反者には処罰を与えることができ、個人が凶悪な犯罪から身を守ることができ、自然状態でも、ホッブズのような戦争状態ではなく、秩序のある自由があると考えました。

 

ロックは、以下のような肯定的な人間観を持っていました。

  • 人間は、生産的な労働を行うことができる。
  • 感情の生き物でありながらも乱暴な生き物ではない。
  • 個人は、他人の指図を受けずに自分の一存で物事を決定する自由な意志がある。
  • 人には理性があり、それが自然法を守らせることを意識させ、自分のことばかり考えるようなことはしない。
  • 他人のことも考え、人と人との間にある規則を守りながら自分の自己保存を追求できる。

このロックの考えでいくと、人は、元々立派な人間性を持っていることになり、必ずしも社会的な仕組みや国が必要なさそうに感じます。しかし、ロックは、自然状態においてはどうしても解決できない紛争も生じてしまうと考えました。その一つが、「貨幣」による争いです。

貨幣の保存機能が格差と争いを生むため法律を明文化し実行する権力が必要

個人同士の自然権は、財産や自分の命、自分の行動の自由などのあらゆる所有権を持っていることを表しています。そして、物がどのようにして個人の所有物になるかというと、例えば水であれば、ある人がそれを汲むことでその人の所有する物となり、土地は、ある人が耕すことでその人の物となるように、誰かが自然の物にたいして労働を行うことで、個人の所有物となるとされました。つまり、物に対して人が労働する前段階では、自然物は万人の所有物です。

 

所有権は労働によって生じるのですが、「貨幣」が登場したことで、この考え方には変化が生まれます。なぜなら、貨幣があれば自分の必要な分を超えた部分を貨幣として保存することができるようになり、そこから所有権の拡大が発生して、不平等な所有が生じるからです。

 

ロックは、自然状態でも人々が他人のことを考え行動できるとはいっても、中にはそうできない人がいること、個人全員が理性をしっかりと意識できないことから、国の必要性はあるとしました。自然状態では明文化された規則がないこと、争いがあった時にそれを判定する裁判官がいないこと、判決を実行する権力がいないことから、政治的な社会が必要となると考えたのです。

 

政治社会は、個人の所有権を相互に共存できるようにして、社会全体の平和と安全を維持することを目的とします。そのためには、犯罪があれば処罰をする仕組みが必要です。そして、処罰があるということは、処罰を行うことができる政治権力が必要になってきます。

 

では、政治権力はどのように誕生するのかというと、まず第一に、ある一つの共同体設立に対して、全ての個人による同意(社会契約)が必要となります。次に、個人は、自然状態で自分が持っている権利のうち、私的に相手を処罰する権利など、政治に任せたほうが良いとするものを放棄し、国に対してその権利があることを認めます。

 

こうして、権力を持つ国ができ、その国の法律によって個人が処罰される仕組みができます。自然法は、このようにして法律として明文化されるとロックは考えました。

 

個人が、共同体に自分の権利を一部譲り渡すことでできた政治的な権力は、個人によって信託された権力です。そのため、政治権力の目的は、全ての個人の福利を高めることです。信託である以上、目的に違反した行為をすれば、権力は剥奪されます。「この力を自分の代わりに使っていいよ」と信託している場合、本当の権力者は、信託している側にあります。つまり、ロックの考える共同体における最高権力者は、社会の成員である個人、つまり市民です。

 

ロックは、権力が絶対化し、信託された者であることを忘れて乱用されることを警戒し、権力は分割すべきと考えました。この思想は、後に、モンテスキューによる三権分立の考えへと繋がります。ロックは、特に、法を作る権利である立法権について重要視し、立法権は、国に魂を与えるものであると考えていました。そのため、立法権は、社会全体の利益を追求する目的に限って、国の全成員の服従を要求することができると考え、法律への服従は平等としました。

 

ロックに至り、ついに国の主権が「国民主権」へと移っていきます。ホッブズやロックの思想においては、時代の変化の流れに沿って人々の考えが変化していく過程を思想家たちが支ている面を見ることができます。こうして、個人の持つ権利や権力が少しずつ強化され、次の時代に受け継がれていきます。

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