相手の嫌なところが気になる=拒絶反応が起こっている証拠
身近な人の嫌なところが目に付くのはそれだけ関係が近いから
小さなことにイラつく。あれこれ目に付く。こうしたことは、身近な人にのみ起こることです。
例えば、国籍も違う異国の他人が、土足で家を歩く、食べ物を床に捨てるなどの自分ならやらない習慣を持っていたとしても、それは自分には影響がないからと距離を置いて眺めていることができます。
仕事の場や、学校でも、ある程度遠い距離にある人であれば、自分に被害がない限りは相手の動向を逐一気にすることはありません。これも、相手が自分に直接何か迷惑になるようなことがなければ、関係ない、と気にせずにいられるからです。
つまり、身内や身近な人の言動や行動が気になるのは、それが自分の人生に影響を与えると思うからです。
人は、ネガティブなことばかり毎日聞かされると、不幸を感じるホルモンが分泌され、ネガティブな発言をしている人ではなく、聞いている人がうつ状態になってしまう場合があります。
また、日常をスムーズにこなしたいのに、夫や妻が最低限やって欲しいと思っていることもやってくれないと感じるようになると、イライラが溜まるだけでなく、実際に作業量が増え、負担が増えることに大きなストレスを感じます。
ただ、付き合いたてのカップルがそうであるように、相手を知っていく段階にあり、相手に強い興味を抱いている場合には、小さな事はあまり気にかかりません。小さな「あれ?」ということも、魅力に変換してしまう場合さえあります。
靴下や服を投げ散らかしても、自分が代わりにやってあげようというアピールポイントに利用したり、都合を聞くこともなく強引に連れ回す相手に魅力を感じるのも、それは一時的なものですが、相手への興味という好奇心に満たされているからです。
ただ、長く一緒にいるようになると、相手のことを十分に知っていると思うようになりはじめます。そして、知っていると思うようになると、ここは直した方が良いと感じる欠点が目に付くようになるのです。
相手がそれを欠点と思うなら欠点。そうでなければ余計なお世話になる
親子でも、夫婦でも、相手の中に入ってはいけない領域があることを知っておくと良いでしょう。
ほとんどの人は、自分の中にこれ以上は入って欲しくない領域というのがあるはずです。例えそれが一番身近と思っている相手でも、自分が必死でどうにかしようと思っている部分や、時間をかけて育てようとしているものについては、触れて欲しくないものです。
ひそかに追いかけ続けている夢や、直したいと思っているけれどなかなか改善できない習慣や、これから努力しようと考えていること。
こうした、自分でどうにかしたいと考えている部分や、人の尊厳にかかわる部分を何度も何度も相手から指摘されると、やる気を出すどころか、人はやる気を失っていきます。
相手に手綱を引いてもらわないと前には進めないような、相手に操作されるのが当たり前な人生では、人は前に進みたくなくなるものです。その方向が例えば正しい道へと繋がっていても、手綱を引かれると進みたくないと感じます。
「あれをやりなさい」「こうしなさい」「なんでこう考えないの?」「常識でしょ」
こうした言葉は、それがどれだけ正しくても、決して相手に響くことはなく、むしろ相手をあなたから遠ざける言葉だと認識しておくと良いでしょう。
上記のような厳しい言葉は、セミナーの講師や、有名な著者、アイドルや政治家、宗教家といった、自分からは遠いけれど、相手を尊敬して耳を傾けることができる相手からの言葉であれば、強く響いて届くものです。
こうした、メシアたちには、遠い存在だからこそ、心を傷つけられるほどの距離の近さはありません。だからこそ、人々は言葉を、ただ言葉として受け取ることができるのです。
ただ、身内、つまり、自分と同じ世界の、近い感覚を共有しているはずと信じている相手から「常識だからね」といった、強い言葉をかけられると、心をナイフで刺されたように感じるものです。それは、同じ感覚の立場にあるはずの仲間が、自分を否定したという痛みです。
家庭を崩壊させるほどモラルに欠けた行いや、社会的に非道徳な行為をしているのではない限り、相手がどんな自分でいるのかは、相手の自由です。
例えば、整理整頓ができない人がいても、その人が共有のスペースを整理しないことに対して注意することはできても、個人のスペースを整理整頓しないことに対して文句を言ってはいけません。
虫が湧くなど、大きな被害が出るような場合はもちろん注意しても大丈夫ですが、整理整頓ができない人と、整理整頓が得意な人がいる場合に、得意な人の基準に合わせて全てを決定してしまうと、整理が苦手な人だけが深い心労を負うことになるからです。
もしも、どうしても相手に整理整頓が得意になって欲しいのであれば、『できる人間は掃除もできる』といった、相手のモチベーションにつながりやすい啓発本などを家に置いておくといった、潜在的な部分で相手の意識を高める方法を採るか、家電などが好きな人には、掃除用の家電や整理用の収納棚を一緒に買いに行くといった、具体的な方向に動くようにしましょう。
具体的な解決策を示さずに、ただ「きれいに保つのは常識でしょ」と言うことは、何の解決にもならないばかりか、相手からの信頼を損なう行為になってしまいます。
相手が必要としている、困っていることに対して具体的な解決案を提示したり、助けることは良いことですが、相手が頼んでもいないのに命令形の言葉だけで相手を動かすことは難しく、むしろ、お互いの中に不和を生むことに注意しましょう。
どうしてこんなに嫌なところばかり目に付くようになったのか
恋人と別れたくなるほどに相手の嫌なところばかりが目に付くようになるという体験をしたことのある人は多いと思います。
これは、これから別れようという行為を正当化するために起こる現象です。
嫌なところが目に付くようになり、それが限度を超えたから別れたと考えがちですが、実は、結果と原因は逆になります。別れたいから、嫌なところに注目するようになり、それを理由に別れるのです。
けれど、恋人同士であれば、このプロセスを経て距離を置けばそれでおしまいですが、夫婦や家族の間では、別れられないことが前提です。
親子関係は、もめやすい時もありますが、一時的にはもめても、その後は再び仲が良くなる、欠点も受け入れることができるといった関係改善もよく起こります。これは、離れたければ離れて暮らせるようになることや、欠点があっても、四六時中一緒にいる訳ではないので、それを受け入れやすいからです。
もし、長期にわたってもめていることがあるのであれば、親子であれば一度距離を置いてみることで、自分達に合った距離間がつくれるようになるでしょう。
ただ、夫婦だけはこうはいきません。別れてもいいと思って結婚する人は少なく、多くの人は結婚=一生のパートナーです。子供を育てるという共通の使命があったり、事業を一緒に行うといった共通の義務があることもあります。
この場合、受け入れられない欠点が、二人の生活そのものを脅かすことになりかねません。
飲み会で遅くなる連絡をきちんと入れない、どれだけ忙しくしてても一人だけくつろいでいる、仕事で疲れて帰ってきたところでけんか腰で迎え入れられる、どちらがより多く大変かで喧嘩になる。
こうした事情が原因で起こる不和は、相手がどうかというより以前に、自分自身に余裕がないからこそ起こることです。

自分はもう手一杯で、これ以上できない。だから、相手がどうにかするべきだ。
内心、そう感じるからこそ怒りが湧いてきます。水回りの掃除を毎日しても、すぐに汚されてしまうイライラは、もう水回りの仕事を毎日したくないという思いから出てきます。
ここで、自分で合格基準のハードルを上げている可能性を考えてみましょう。
一人暮らしであれば、まあいいかと許容できたことが、結婚した途端に、子供ができた途端に、あれもこれもこの基準でなければダメだと、高みを目指そうとしていませんか?
この場合、そもそも自分にさえ手に負えないものを、相手にも一緒に理解して、頑張って叶えてもらおうとしている可能性があります。
どちらかが、生活合格基準を高く設定するほどに、相手側は生活に窮屈さを感じるようになります。子供がいて、昔は高かった生活合格基準が維持できない場合も同じです。
掃除も、洗濯も、炊事も思うようにいかなくて困っている相手を見たら、一緒に手伝うことも大切ですが、一緒に生活合格基準を下げるように決めることも大切です。
「まあいいか」という投げ出せる感覚が、身近な人同士にはとても大切な感覚になります。
身内だからこそ、世間的には不合格でも、二人でOKならいいという感覚を共有できることが大切なのです。
怒ること、小言を言うこと、無視すること。こうした怒りを見せるサインというのは、身内ほど効果がありません。効果がないばかりでなく、相手にますます嫌われるという悪い効果を持っています。
怒る、小言を言いたくなる、無視したくなるというサインは、自分に向けられた「自分がもう手一杯なのだ」と感じるためのサインです。そこから何かを変えたい場合には、やらなくても生きて生けるだろうリストをつくるといった、より具体的な解決策を考えましょう。
妻・夫の実家の習慣になじめないくていい
親子関係でも、親に対する絶対の信頼があるのは、いざとなれば親が守ってくれるという信頼があったからですし、それ以上に生まれた時から傍で一緒に育っているからこそ、欠点を欠点とは思わずにそれがあたりまえの事で、我が家の面白い特徴と捉えることができるからです。
裸族の習慣を持つ家、格式高く礼儀にうるさい家、夕食は少なめの家、パスタは昼しか食べてはいけない家、テレビが禁止されている家、毎週集まって団らんする家。
家は、その家の数だけ異なる習慣があると言えるほど、家ごとに異なる文化があります。
家の中だけは、だらしないスウェットでアイスを食べながら、時にはスウェットをアイスで汚していた人が、結婚した途端にスウェットは禁止され、アイスをこぼしたらどれだけ子供なんだと怒られれば、今までの人生は何だったのだと思うかも知れません。
子供の手本という意味で、しっかりして欲しいと考える夫や妻は多いですが、社会人としてやっていける土壌さえ育てば、それ以上に完璧な姿を子供に教えたり、覚えさせることは、子供にとって負担になることもあります。
好きできっちりした生活をするのは、自由です。ただ、夫婦がつくる家というのは、二人で作り上げる特殊な環境です。どちらか一方のための場所になってしまえば、それだけ相手は居心地の悪さを感じ、いつかは出て行ってしまうことも考えられるため、お互いが満足できる空間づくりに意識を向けるようにしましょう。
どうしてもこれだけは直して欲しいところがある場合には、自分から率先して直す
それでも、どうしても相手にこれだけは直して欲しいところがある人は、相手から小言を言われ続けていることを率先して直すようにしましょう。
遅く帰る可能性のある日には小まめに連絡を入れる、お昼は自分で作って弁当を持っていく、相手が忙しそうなら自分が相手の作業を負担する、小言を言わないようにする。
そして、何よりも、一番大切なことは、「ありがとう」という言葉、「いつもすごいね」という種類の褒め言葉を惜しみなく使うことです。
こうして、相手への信頼が高まっていくと、相手側の耳がメシアの言うことを聞くのに近い状態となります。この人の言うことには従おう。きっと良いことがある。という方向へ変化します。そう思わせてこそ、はじめて言葉が相手に大きく響きます。
相手をダメだ、これだから無理なんだと思っていても、現実の状況は一つも好転しません。ただただ不満を積み重ねていくだけです。
それならば、行動してみて、言葉を変えてみて、自分がどれだけ変われるか、自分が変わるとどれだけ相手が変わるかを体験してみましょう。
相手を変えるために自分を変えるを実践する
最初のうちは、頭の中で小言や悪口がどんどん浮かんでくることでしょう。いつもなら、それを考える間も無く口に出すでしょうが、そこで待ったをかけて下さい。
このように冷静に考えて見てください。そして、どんな言い方なら相手に伝わるか、または、相手が喜びそうなことをやれば、交換でこれをやってくれるだろうという代替できることについて考えて下さい。
あるがままをぶつけ合えなければいけないと思い込んでいる人もいますが、イライラや怒りというのは、癖になりやすく(ホルモンの影響です)、本心から怒りを感じて怒るより、ただ怒りという反応が出やすい自分になっていることがあります。
意固地になって、こうあるべきだという固定概念から抜け出せないと、損ばかりすることになります。それよりは、目的(家事を手伝ってくれるなど)を達成するために何が有効かを考えるようにします。
はじめのうちは、相手の動きがなかなか変わらないかもしれません。それでも、小言や悪口を口から出さなくなると、それだけで得することがあります。自分を冷静に見る目と、ハッピーを感じる力が戻ってくること、そして自分自身が怒りやイライラのホルモンで受けていたダメージから回復していくことに気付くでしょう。
そうやって、ゆっくりと相手が変わっていくのを観察しながら、お互いの信頼を回復し、2人にとって最高の家づくりを目指しましょう。