ギリシア思想まとめ① 正義・法律・民主主義を生んだ思想の起源【ヘシオドスなど】

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ギリシアの思想の始まり【ヘシオドス、ソロン、クレイステネス、ペリクレス】

ギリシャからはじまる社会思想は、ヘシオドスの正義を求める心から

ヘシオドス イラスト 思想

ヘシオドスと正義(紀元前750~670頃)

紀元前750年~670年頃までを生きたと言われるヘシオドスは、農民詩人でした。彼は、この世界に正義という概念を確立した人と言われています。

 

ヘシオドスには兄弟のペルセスがいましたが、ペルセスは、働くことが嫌いな上に貪欲でした。父の亡き後の遺産分割が終了した後になってから、ヘシオドスから遺産を奪おうと訴訟を起こし、さらに、裁判を行う土地貴族を賄賂で買収して、自分の思うように遺産を分けさせたような人です。

 

さらに、無茶を言って新たに手にした遺産もすぐに使い切ってしまったペルセスは、その後も執拗にヘシオドスの遺産を狙い続ける始末で、ヘシオドスは、特に、家庭内の問題から正義を欲するようになりました。

 

賄賂により不正な裁定を行うような土地貴族がいなくなるような正義を、そして、「働くことには意味があるのだ」と訴えることで、ペルセスにも正義を求めました(『仕事と日々』)

 

ヘシオドスは、人から物を奪うような暴力的で、怠け者の心で生きることは人に災いをもたらすだけだと考えていました。そして、正義こそが人を仕合わせにすると考えていましたが、彼が生きる時代の正義は、土地貴族のような力がある人々の中にしかないと嘆いています。

 

世間的に考えられている正義が、本当の正義とは限りません。そういう意味で、ヘシオドスは、不正が横行し、不正こそが正義の顔をしている時代を嫌いました。しかし、ヘシオドスは、神が治めていると考える世界について、ゼウス(神話の神)は不正を許すはずがないだろうと言い、どこまでも正義を求め、それを記録した歴史上最初の人でした。

 

現代でも、人々は本当の正義が何かを分かってはいません。例えば、客観的に見た真実を伝えることが常に正義とは限りませんが、嘘をつくことが正義とも言えません。つまり、その時々の状況によって正義は変わってしまうということです。

 

しかし、ヘシオドスが、正義(ディケー)と、悪いことをきちんと畏れる慎みの心(アイドース)を大切にするべきだと考えた、人間の心の奥深くにある、正しいという思い、自然や神に対する無力さからくる畏れを持つことは、現代の人間にとっても生きるための指針となる大切なこころがけと言えるでしょう。

正義を社会に広く認めさせるには法律という存在が必要だと気付いた人ソロン

ソロン イラスト 思想

立法者ソロン(紀元前640~560年頃)

ギリシアの7賢人の1人と言われるソロンは、アテナイ(ギリシアの首都アテネの古名)で政治家として活躍した人ですが、ヘシオドスが望んだ正義を社会の中で形にした人と言われています。

 

ソロンの生きた時代には、土地貴族や富裕層の農民が、困窮した市民に対しお金を貸すなどして、利息として収穫の6分の1を納めさせていました(これをヘクテーモロイ=6分の1の意という)。

 

ただ、この時の利息は、払えなければ身体を抵当として払う、つまり奴隷に身をおとすこともある仕組みがまかり通っていたため、家族全員が奴隷になってしまい、国外に売り飛ばされるということもしばしば起こっていました。中には、不当な行為によって無理矢理奴隷として国外に売り飛ばされることもあったそうです。

 

困窮農民が増え、国外に売られる農民が増えることは、国防の面でもマイナスです。本来なら国の危機に武器を手に取り国を守るべき農民の数が減ってしまうからです。

 

そこで、ソロンは、ヘクテーモロイを禁じるために、土地に立てられた抵当権を引き抜き、平民層に自由を与えました。ソロンは、市民の奴隷身分からの解放とともに、今後一切の身体を抵当とする借財の禁止を法によって定めるなど、現在にまでつながる「法の前の平等」を築いた人物です。

 

ソロンは、土地からの収益によって身分を分けはしましたが、平民層に政治的発言権を与えるなど、後に民主的な制度の確立へとつながる制度をつくりあげていきます。ただ、改革としては貴族層と平民層の真ん中に立つ形で、どちらかに偏ることなく行われたことから、貴族層には「自分達に不利なことをする人間」と思われる一方、平民層には「やり方がなまぬるい」と不満を残すことになり、どちらからも憎まれるという、気の毒な立場に置かれることになっていきます。

 

平民層に対して与えすぎることなく改革を行いながらも、貴族層の面目を失わせることもなかったとして、後にアリストテレスによって、「国を救うために最良の立法を行うために両者から憎まれる道を選んだ」と言わせることになるように、未来の人から見れば素晴らしい人であったことが分かると思います。

 

ソロンは、「日和見」や「無関心」を嫌いました。その時の主流な法に対して何となく従う人間や、政治に全く関心を持たない人間は、国の政に関わる資格もないとし、国のこと、民の利益についてを考えることができる人々全てによって国が創られるべきだと考えていたと思われます。

 

ソロンが法の下に平等を築こうとした後の世は、平民層の支持を取り付けた有力貴族の3派閥が争う時代に突入し、その後ペイシストラトスの一派が武力によって僭主制(君主の座に実力によって就いたもの)を築きました。

 

前7世紀~6世紀にかけては、ギリシアの多くの都市国家でこうした僭主制(一種の独裁的な制度)が見られますが、このアテナイにおける僭主制度については、50年の後に名門貴族クレイステネスによって終わりを迎え、民主制へと向かいます。

民主主義=デモクラシーはクレイステネスによって作られた

クレイステネス イラスト 思想

クレイステネスと民主主義への改革(前508年頃)

血縁による氏族を基にした政治体制を改革し、地域別の政治を確立させたのがクレイステネスです。区(デーモス)という地域分けを行い、アッティカ地域を170程度に分けたクレイステネスは、18歳になった男子を審査によって170のうちのどこかの区に登録し、市民権を与える制度を作りました。

 

例えば、ソクラテスであれば、「アロペケ区のソクラテス」というように、どこの区の誰という風に人は認識されるように変わります。区民である=市民として政治的に平等という世界を創ったクレイステネスは、民主主義=デモクラシーの基礎を作り上げた人です。(区(デーモス)に分けたことで勝利(クラティアー)した=デモクラシーの意味です)

 

170程度に分けられた区は、都市、海岸地域、内陸の山地の3つの地域に対して10ずつにまとめられました。こうして、全体で10の部族を行政組織の基礎とし、従来の氏族(血縁など)から代表されてできた議会を、各部族(血縁などは関係ない)から50人ずつを選んで議会を開く形に変更しました。

 

10×50=500人審議会は、審議会議院の任期が1年で、かつ再審は1度のみと定められていたために、市民が少なかった当時では、希望すればほぼ全ての市民が一生に一度は政務審議会の一員となり、国政に携われる世界でした。(ソクラテスは、アロペケ区民として審議会の一員となり、政治的事件の処理にかかわっています)

 

こうして、民主制の基礎ができあがったアテナイでは、ペルシアによる侵攻に苦しみながらもどうにか勝利したことで、民主主義が強大な専制国家に勝利した最初の実例となりました。

良い指導者による民主制は君主制でもあるーペリクレスの時代

ペリクレス イラスト 思想

ペリクレスと民主制(紀元前495年頃~429年)

アテナイの黄金時代と言われるペリクレスの時代は、実質ペリクレスによる30年の治世であるために、民主制でありながらも君主制であるとも言われています。

 

後に、27年という長い戦争となるペロポネソス戦争の最初の年、ペリクレスは、戦死者追悼式において、家柄に関係なく個人が達成した栄誉はその人のものであり、国に尽くせるものは貧乏でも身分が分からなくても歓迎される、民主主義を誇る国がアテナイであると演説しています。

 

ペリクレスの考える民主主義①少数者の意向ではなく、多数者の意向によって国がつくられる

②個人の利害の対立においても「法の前の平等」があり、被告も原告も平等に扱われる

③人間の評価は家柄や財産ではなく、力量や品性によって決まる

④法律と慣習の範囲内においては、プライバシーは守られるべきである

 

これらは、今にも通じる基本的な民主主義の考え方であり、今なお改めて考える必要のある事柄ばかりです。

 

古代ギリシアにおいて、ヘロドトスやソロン、クレイステネス、ペリクレスが思考し、実現させたことは、2500年以上の時を経てもなお色褪せることないどころか、今でも本当の意味で彼らの思う正義や民主主義が達成されてはいません。

 

不正に対する悩み、平等への願いなどは、過去から変わることなく今も全く同じ様に続いていることを考えると、古代のギリシアの思想の中に、私たちが目指したいシンプルな正義への理想や、平等の考えを見ることができると言えるでしょう。

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