【バロック時代】二元論のデカルトと一元論のスピノザの思想[精神と肉体の問題]

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「心と身体」が自然法則にどう制限されるかについての異なる見方

「生と死」について両極端な思想・芸術が生まれたバロック時代

バロックとは、「いびつな真珠」という意味です。バロック時代には、調和の取れたルネッサンスの芸術とは異なり、思い切り装飾する、コントラストを強調するといったいびつな芸術が生まれた時代でした。

 

十七世紀は、ルネッサンスから受け継いだ人生に肯定的な世界観がある一方で、熱心な信仰心から隠遁生活を望む人もいるという、両極端な思想があった時代でした。

 

この頃は、プロテスタントとカトリックを中心として、政治権力も絡んだ小さな戦闘があちこちで起こる30年戦争の時代でした。17世紀は、階級による貧富の差が激しい時代ですが、この頃は、人生そのものを映し出しているのは劇場であると考えられていたため、演劇が人生の象徴とされていました。そのため、贅沢ばかりしている貴族は、時代の象徴である演劇に夢中になり、観劇や舞踏会が盛んに行われました。

バロック時代の生き方を表す言葉は、以下の2つです。

  • カルペ・ディエム(今を楽しめ)
  • メメント・モリ(死を忘れるな)

わーっと、騒いで、盛り上がって、それでもみんな死ぬ。こうした、両極端な考えの下で、現世と彼岸の世界の両方の思想を持つ人々が芸術的な表現をすると、バロック的なものが生まれました。

 

ニュートン(1642年~1727年)は、運動についての法則は宇宙全体にあてはまるものだとし、重力の法則や物体の運動法則は自然現象のあらゆる変化の鍵であり、全ては法則によって、機械的に動かされていると考えましたが、ニュートンの科学的な思想は、哲学の世界にも広がっていきます。

 

哲学では、存在や現象の全てが具体的な、物質的なものであるとする『唯物論』的な考え方と、存在というのは究極的には精神的で霊的なものであるとする『観念論』の立場がありますが、この時代には、唯物論と観念論の考え方が大きくぶつかります。

ソクラテス由来の合理主義者は、疑うことで自己を発見「我思う故に我あり」

ルネ・デカルト(1596年~1650年):フランス

デカルト 思想 分かりやすく

デカルトは理性が知識の源であるとする「合理主義者」です。

デカルトは生涯をヨーロッパのあちこちを旅して生きていきますが、ソクラテスにはじまり、プラトン、アウグスティヌスと引き継がれた理性による思考を受け継ぎました。

 

ルネッサンスの時代に誕生した自然科学には、天文学や力学がありますが、こうした科学と、科学を理解するための自然観や宇宙観を受け継いで、自然や科学の上で成立している原則を発見し、哲学の世界にもそこから導くことができる確実な結論を求めたのがデカルトです。

「確実性」を求めてあらゆるものに疑いをかけたデカルト

デカルトは、知識や学問に対して「確実性」を求め、そのためにあらゆるものを疑って、それは実は虚偽ではないか、嘘であることを証明しようと試み、それでも疑えない事実だけが確実なものであるとして、絶対的で確実なものとは何か、を探し求めました。

 

当時から、『身体と心の関係』について人々は哲学のテーマとして取り組んでいましたが、これまでの思想は懐疑主義によって、確かなものは何もないという結論を導くものでした。しかし、デカルトは、疑いをかけることで、新たな考えを生みます。

 

デカルトは、哲学的な問いの全てを小さな部分に分解し、一つ一つの観念について「科学的な分析を行うように、計れないものを計れるように計算すべき」と考えました。哲学の世界でも、感覚に頼った不確かなものではなく、理性に基づく数学的な定理を探すべきと考えたのです。

 

眠っている時に見る「夢」の中での体験と感覚は、現実の体験と区別することが難しい場合がありますが、「目覚めている方が夢なのではないか」と疑ったこともあるのではないでしょうか。

 

このように、デカルトは、とにかく何もかもを疑いました。何もかもに疑いの目を向けた上で、そして、「自分が今、疑いをかけている」ということは「疑いようがない」という考えに辿り着きます。

コギト・エルゴ・スム(我思う故に我あり)

有名なこの言葉は、「自分は存在しているということは疑いようがない」という事実の発見です。考えているということは、「私」という「自我(エゴ)」があることであり、それは、何よりも疑うことができない存在しているものである、という主張をします。

 

私が存在するということは、そもそも何を根拠に言えるのか、というと、それは「考えているから」であるとしたデカルトは、思考がなければ、「私」という存在はないとも考えます。

 

思考とは、知性であり、理性です。デカルトにとっての人間とは、知性を働かせているもののことでした。

 

そして、理性によって数学的に認識できる「長さ」や「重さ」といった量的な特性が分かれば、認識できているそれは存在しているという確かさであるとし、どんなものでも数学的に認識することで存在できるのであり、色や匂いについても、同じように数学的に認識することで存在すると言えると考えました。

 

デカルトは、「身体(物質)」と「心」という二元論に基づく考えを持っていましたが、森羅万象の根底には、究極的実在として神と、心と、物があると考えています。

 

デカルトは、心(精神)は意識であり、物ではないので空間を必要としないが、物とは小さな部分に分割できる、空間に場所を取るものと考えました。そしてこれらの心と物は、神から出現しているものであると考えました。

 

デカルトは、心(精神)の世界は人間にしか与えられていないものと考え(動物が意識を持つかもしれないという可能性については考えています)、動物は一種の複雑な機械ではないかと考えていました。物には、無機物と有機物がありますが、どちらも自然法則によって支配されている「機械」と考えたデカルトは、そうした因果法則に支配されない自由があるのは「心」だけとし、人間は自由な心を持てることに価値があるとしました。

 

心は、特別な脳組織によって結び付いている身体の影響を大きく受ける構造を持っていると考えたデカルトですが、精神は、身体から受ける感覚や感情に動かされて揺れ動くものの、精神が主導権を持つことができれば、例え身体が年老いても精神と理性は年を取らないとし、欲望や悲しみといった身体の機能に結び付けられている感情ではなく、精神と結びついている理性によって生きることを推奨し、精神に主導権を握らせるべきと考えました。

 

人生は、その時代の世界の状況や国の状況といった生きている環境に大きく振り回されることになりますが、当時のフランスが、宗教上の内乱を抱えていたこと、ドイツでの30年戦争の只中であったことを考えると、デカルトは、どんな時でも、「心」は、あらゆる支配から解き放たれることが可能だと伝えたかったのかも知れません。

ユダヤ教団・キリスト教から迫害された「汎神論」のユダヤ人思想家

バルフ・スピノザ(1632年~1677年):オランダ

スピノザ 哲学 分かりやすく

元々はユダヤ教団に属していたユダヤ人のスピノザは、その思想から、非難され、迫害され、暗殺計画まであったとされる人物です。

17世紀になると、思想は比較的自由であったため、ここまで忌み嫌われた人も珍しいのですが、あらゆる聖書や、福音書の間にある矛盾を次々と指摘したことで、最後には家族からも見離されてしまった人物です。

 

レンズ磨きで生計を立てながら、思索に没頭し続けたスピノザは、身体と心は別物でありながら、互いに影響する関係がなぜ起るのかという問題について、ここに「神」の存在を持ち出し、心と物はそれぞれが神の属性にあるからだと考えました。

 

神が全ての物と心に宿っていることで繋がりを持つという考えは、汎神論と呼ばれます。

 

「世界は神の中にある」と考え、人は、神のうちに生きて、動いて、存在しているとしたスピノザの神とは、いわゆる自然法則のことです。スピノザは、人間は自然法則のもとに生きているために、自然法則を知らなければ安らぎや幸せを得ることはできないと考えます。スピノザは、全てのものはあるたった一つの実体、神であり、自然そのものに辿り着くと考えた一元論者です。

 

全ては、自然法則であり神である、ただ一つの存在の変化でしかないと考えていたスピノザは、「思うこと、動くこと、考えること」それら全てが、自然が変化した一形態であると考えていました。人間は、限定された自然の制約の中であれば(手は、腕の長さの範囲でしか伸ばせないなど)、自由を持つことはできますが、自然法則から逃れることはできません。このように、スピノザは、決定論的な自然のイメージを持ち、ストア派の考えを持っていました。(ストアはについては詳しくはこちらを参照下さい

 

神は、自然の法則を通じて世界を動かしていることから、自然界の全ては必然的に起こっているという考えではありますが、しかし、その制約の範囲内であれば、人は自由であり、本来持つ可能性をどれだけ生かせるかは個人によって異なるものと考えています。

スピノザは、人間は、野心や欲望に囚われることなく、自然を直感的に認識し、存在全体を落ち着いて見下ろすことが大事と考えました。それを表した言葉が、以下のラテン語です。

スプ・スペキエ・アエテルニタティス(永遠の相のもとに見る)

スピノザにとっての神とは、唯一神として宗教で崇められるものとは違い、世界に存在する全て中に内在するものと考えました。当時は、ユダヤ教・キリスト教の思想が占める割合が大きかったこともあり、スピノザの考えは異端視扱いされ、最後には家族まで一緒に居られなくなるほど迫害され、歴史の中では長くその考え方は忘れ去られますが、18世紀の後半になって、ドイツの思想家たちがスピノザの考えを復活させ、今に至るまで大きな影響力を持つ思想家となりました。

 

どちらの思想においても、神である自然法則が根底にあり、科学が発展して人々の中に根付いたことがよく分かる時代ですが、人や動物を機械に見立てたり、自然法則によって人の思考も制限されるという考えには、異議を唱える思想家もいます。

 

しかし、自然法則による制約があるのは、生きていれば常に感じることであり、その中で、いかに自由を手に入れるか、いかに本能的な感情や欲望から離れて精神的に独立するかは、生きていく上で大切な心構えであり、思想を通じて自分の生き方の参考にできる部分だと思います。