ヘレニズム時代の学派【キュニコス・ストア・エピクロス・新プラトン】と思想

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ヘレニズム時代の哲学は「よりよい人生を生きるには」がテーマ

ギリシアの哲学や文化が他国に広がっていくヘレニズム時代

若い頃にはアリストテレスが家庭教師をしていたことで知られる、マケドニア出身のアレクサンドロス大王(紀元前356年~323年)は、ペルシアに勝利し、エジプト、インドと支配領域を広げる中でギリシア文明を他の地域と結びつけました。こうして、ギリシア文化とギリシア語が300年におよぶ長い年月の間、世界の文化の中心となっていきます。

 

アレクサンドロス大王 

ギリシア化していく世界をヘレニズムと言いますが、マケドニア、シリア、エジプトを中心にヘレニズム文化が広がりました。

 

こうして、ギリシアのアテナイは哲学の都として、エジプトの街アレクサンドリアは科学の都として、数学や天文学、生物学や医学を発展していきます。

 

ヘレニズムの哲学においては、「人はどうすればもっといい人生を送れるか」がテーマでした。この頃には主に、4つの哲学流派が登場します。

【キュニコス学派】「足るを知ること」ーシニカルの語源になった学派

紀元前400年頃のアテナイでは、ソクラテスの弟子であったアンティステネスを源流とするキュニコス学派が生まれました。本当の幸せは、ぜいたくや権力、健康などの外面的なこととは関係なく、だれもが手に入れることができるもので、一度手に入れてしまえば、失われることはないものであると説きます。

 

アンティステネスの弟子であるディオゲネスによる幸せが、最も有名なキュニコス学派の幸せの象徴と言えます。彼は、樽の中で暮らし、持ち物は布と杖と大きな布袋のみで生活していました。アレクサンドロス大王は、哲学者として知られるディオゲネスを尋ねてその前に立ち、必要なものをすぐにでも提供しますと申し出ますが、ディオゲネスが返した言葉は、以下のようなものでした。

 

そこをどいてください、わたしが日陰になっている

 

ディオゲネスにとって必要なものは、アレクサンドロス大王が遮った日の光だけであり、それ以上望むものはないほどに幸せだったということです。キュニコス学派のキュニコスという言葉は、シニカル、という言葉に変化し、「冷めている」といった意味で使われるようになっていますが、本来は、自分にとって本当に必要なごくわずかなものだけで満ち足りることができるという意味でした。

 

ディオゲネスは、コスモポリタン(世界市民都市)に繋がる言葉であるコスモポリテースという言葉を最初に用いた人としても知られています。

彼は、「お前はどこの国の人か」と問われ、「世界市民だ」と答えたと伝えられています。

現在では、コスモポリタンとは、世界を一つの国家として見る考え方として捉えられていますが、この時代におけるコスモポリテースは現代のそれとは意味が違います。この頃には、アレクサンドロス大王による世界の統一化が行われる中で、ギリシアの人々は出身地であるポリスを失っていきました。そのため、「自分はどこに属してもいない」という感覚をギリシアの人々に持たせていましたことが、ディオゲネスの世界市民であるという言葉に影響を与えています。

 

ディオゲネスも祖国を失っています。そのため、自分が属するポリスは無いという意味で世界市民という言葉を用いたと言われています。

【ストア派】「全てを受け入れて生きる」ーストイックの語源になった学派

紀元前300年頃にアテナイで起こったストア派の哲学の創始者は、キプロス島出身のゼノンです。キュニコス学派に影響を受けています。

 

ストア派の人々にとって、世界は一つです。魂と物質の世界を分けて考えることや、プラトンのように現実世界を二つに分けることはせず、ただ一つの自然があるだけという考え方、一元論による見方をしていました。

 

マクロコスモス(大宇宙)という大きな世界が広がっていて、その世界がつくる理性の下で人々は生きていて、それがミクロコスモス(小宇宙)のように一人一人の人間が小さな世界として映し出されていると考えたストア派では、どこでも、いつでも、普遍的な法としての自然法が成り立つと考えていました。

 

絶対的に変わらない何かがある」というのは、ソクラテスと同じ考え方です。

 

ストア派は、世界全体を自分達の国と捉える国際人(コスモポリタン)の集まりでした。社会について、政治について論じ、積極的に関わっていきます。ローマ皇帝のマルクス・アウレリウス(121年~180年)もストア派の政治家です。

 

キケロ

哲学者で政治家であったキケロ(紀元前106年~43年)は、ストア派の代表的な哲学者として知られていますが、個人を中心にものを見る「ヒューマニズム(人間中心主義)」という概念をつくったことで知られています。これは、後にストア派のセネカ(紀元前4年~紀元後65年)によって、「人間は人間にとって神聖だ」と書き残され、これは、ヒューマニズムの標語となっていきます。

キケロ

ストア派は、病気も、死も、すべての自然の過程で起こることは自然の中の不変の法則に従っているものであり、人間がすることはそれを受け容れることを学ぶということだけ、と考えます。

 

偶然は存在せず、全てが必然と考えるストア派では、辛い運命も、悲しい運命も、受けいれる以外の選択肢はありません。ストア派のこの考え方は、ストイックという言葉に残されています。ストイック(stoic)とは、不満を言わずに堪え忍ぶことを表す言葉です。運命を受けいれてじたばたしない事を表しています。

【エピクロス学派】長期的な目線で適度に欲望を満たす必要があると考える

キュニコス学派やストア派が物質的なぜいたくを否定し、我慢すること、運命を受け入れることを解いているのとは全く異なり、ソクラテスの弟子であるアリスティッポスは、できるだけたくさん、感覚的に楽しいと思う経験をすることが人生の目的と考えました。

 

アリスティッポスにとっての善は、快楽です。そして、悪は苦痛でした。そのため苦痛を取り除く生活技術の発展が必要と考えます。この考え方を継いだエピクロス(紀元前341年~270年)は、アテナイに哲学の学校を開きました。

 

エピクロスは、快楽を生む行為の危険について指摘した上で、適切な快楽の必要性を説いています。食べ過ぎや、飲み過ぎが健康を害するように、何でも過ぎれば快楽ではなくいずれは苦痛を生む場合があります。エピクロスにとっての快楽とは、そういう意味では短絡的に追求する快楽ではなく、持続性を持った、計画的な快楽でした。

 

エピクロス

単純に、食べたい物を食べる、好きなことをするという堕落にも繋がる快楽は、真の快楽とは言えません。健康で、やりたいことを長く続けられること、心がリラックスして平和であることなどを求めた場合、必要なのは適度な欲望の充足です。今の言葉での「快楽の追求」は、依存症や健康被害といった悪い要素の強いものになるため、エピクロスの考え方とは異なります。

 

また、エピクロスは、死の恐怖を解決する言葉も残しています。

 

わたしたちが存在するあいだ、死は存在しない。そして、死が存在した途端にわたしたちはもう存在しない

 

つまり、死んでいることで苦しむことはないのだから、死ぬことそのものを恐怖する意味は無いと言っています。多くの人々が恐れる「死」は、実際には、死ぬ前の痛みや、死ぬ前の不安=生きている間の痛みであると言えます。

 

エピクロス学派は、政治や社会にはあまり関心を持たず、〝隠れて生きよ!〟の言葉の通り、小さな共同生活によって満足できる暮らしを求めていまいした。

 

現在までに、エピキュリアン=快楽至上主義者を示すようになってしまったエピクロス学派を元にした考え方は、本来のエピクロス派の考えとは異なる、短絡的な快楽の追求が主流となっています。

【新プラトン学派】神秘的体験は永遠の体験と希望を与えると考える

ギリシアでは、古くから魂は不死であると信じられてきました。肉体は朽ちてなくなっても魂は永遠に生き続ける輪廻転生の考えはアジアでも広く信じられていましたが、新プラトン学派であるプロティノス(204年程度~269年)は、陰陽の考え方を用いて光と闇の世界について説明しています。

 

世界には、神である光と、光が届かない世界という意味での闇が存在するとしたプロティノスは、魂は光そのものであり、肉体は光によってのみ映し出される闇であるとしました。プロティノスは、人生のうちに何度か「神秘的体験」をしました。神秘的体験とは、神と魂が混ざり合う体験です。

 

神秘的体験により永遠や神を感じることは、生きることに意味を与え希望を与えることとして、生きることを助けるとされました。神と、魂の世界が溶け合うと、「わたし」は、「全宇宙」となります。全てを一体化して感じるようになるのです。

 

「わたし」はいつか失われますが、神秘的体験によって感じる神と一体化した状態は、永遠の体験です。信仰や宗教の源となる神秘的体験の方法は、東洋の神秘主義では神との一体化=全宇宙になること、である一方で、西洋の神秘主義では、一人の神との出会いを意味します。

 

ヘレニズムの文化において発展したそれぞれの学派においては、人生の出来事のとらえ方や、魂や肉体の考え方は異なりますが、どの学派も、「よりよく生きるのにはどうしたら良いのか」を考え、答えを出そうと試みてきました。現在でも、学べるところがたくさんあります。

 

ヘレニズム文化は、紀元前50年頃になると、ローマが勢いを増し、ヘレニズムの国々を征服したことで、ローマの文化とラテン語が文化の中心になっていきます。

 

こうして、ギリシアのアテナイで発展した文化は、ヘレニズム化として広い地域に行き渡った後には、ローマの文化に吸収されていきました。

 

ギリシアは、ポリスが消え、政治が市民の手から専制君主へと移っていったことから、一般市民の多くが、政治に参加して国を良くするために動くことによる生きがいを失いました。また、哲学をすること自体は教育を受けることができる少数の人々に限られていたため、この時代の一般大衆の間では宗教が流行り、宗教クラブがあちこちで生まれます。他にも、占星術などの占いが流行した他、君主を神と崇めて信仰する人が現れるなど、自分の居場所を失った人が、何か「寄りかかれる」ものを探した時代でした。

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