本当の「幸せ」とは他人と比較せず自分自身の満足度で測るもの

幸せ 比較悩み・疑問
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概念的な「幸せ」を目指すほど辛いのは自分が満足していないから

会話の中の「幸せ」は他者と比較する「他人基準」のものさしになっている

幸せという言葉には、「恵まれている」という意味が含まれています。そのため、幸せな人がいる世界は、恵まれていない人も存在する世界を前提としていることになります。

 

実際、「幸せ」を想像した時には、望むような仕事に就けること、良縁に恵まれて良い結婚生活が送れること、夢を叶えて人から賞賛されることといった、他者と比較した上で恵まれた状態であることをイメージすると思います。

 

そうした「幸せ」が、実際には自分にとって本当に幸せなのかは本人が深く考えなければ分かりませんが、周囲の人が「こうなると幸せだ」と感じていることに影響を受け続けると、「他人と比較して恵まれた幸せな人になりたい」と、心の奥で思うようになります。そして、その思考が変異すると、「〇〇しないと幸せになれない」という否定的な思考に繋がっていきます。

 

「結婚しないと」「大学行かないと」「就職しないと」「子育てしないと」

 

こうした、〇〇しないと幸せになれないですよ、と人々が口々に言う時には、比較対象として恵まれていない人を頭の中で思い描いていることになります。独り身でいること、学歴がないこと、一般的な就職をしないこと、子供がいないこと・・・これらは本当は「幸せでないこと」や「恵まれていないこと」を指しているのではなく、リスクの高さを意味します。

 

独り身でいることや子供がいないことは、老後の不安や病気の時の世話は誰がするのかという不安につながっていて、学歴がないことは、企業に就職することが一般化した社会において良い就職先が見つからないかもしれないというリスク要因であり、不安定なフリーランスや自営業が否定されることがあるのも、自営業には福利厚生などがなくリスクが高いと考えられているという背景があります。

 

つまり、〇〇しないと幸せになれないよ、という言葉には、その言葉を発している人が潜在的にリスクが高いと感じていることが隠れているのです。

 

多くの人が、リスクが高く失敗する可能性がある人生は恵まれていない=幸せになれないとい感じています。

 

しかし、こうした考えのうちの多くは、少し前の時代の思考です。国民皆保険があり、自治体の支援制度も多く、100年生きる人が当たり前になりつつある今の時代には、独り身であっても家族のある人であっても、身体が動かなくなれば老人ホームに入るのが当たり前であり、家族がいるかいないかは、絶対的なリスクではありません。

 

終身雇用が消えつつある今、企業は安泰とは言えませんし、学歴よりスキルが重視されるようになっている時代では、学歴が物を言うとは限りません。

 

だからこそ、これからの時代には、「〇〇しないと幸せになれない」の〇〇の中身は変わっていく可能性があります。それでも、より恵まれているのはどんな人か、という基準によって〇〇の中身が変わるだけであり、恵まれている人とそうでない人を分けて幸せを考えるという傾向は変化しないでしょう

幸せかどうか悩んだら、自分が満足できる瞬間はどんな時かを考える

明確な基準に沿って人生を歩む方が楽だと感じている人は大勢います。結婚という目標をクリアすれば、誰にも文句言われないだろう、子供を持てば、誰も何も言ってこないだろうという考えて、結婚や子供を持つ事を選ぶ人もいます。

 

また、周囲の人の価値観の中で最も幸せに近い人間になれば、相手に羨ましがられることを知っていて、「幸せでうらやましい」と言われるための生活を選ぶ人もいます。

 

問題なのは、それが本当にその人にとっての幸せなのかどうかは、「比較対象としての幸せ」を基準にしている限りは分からないということです。

 

幸せは、一時的なものではなく、長く続く「状態」を表す言葉であると捉えてしまいがちですが、実際には幸せな感覚というのは、一瞬で通り過ぎて行ってしまうものです。

 

結婚式の日に、大学に合格した日に、就職が決まった日に、子供が生まれた日に、その時に「幸せ」を感じたとしても、それは日々の中ではすぐに失われていくものです。もちろん、その時に感じた幸せ自体が色あせることはありませんが、継続して一年中幸せを感じ続けることはできません。

 

結局のところ、人が幸せだと認識している感覚は、「一瞬の満足感」なのです。

 

満足感に視点を当ててみると、自分は幸せなんだろうか、と悩んでいた人も、「満足する瞬間」はあることに気付くはずです。

 

お腹が空いている時に美味しいものをいっぱい食べれば「満足」します。しばらく出かけていない時に、旅行に出かければ「満足」します。

 

勉強が足りないからと資格を取得するために頑張ってみて結果がでれば、「満足」します。忙しくて大変な仕事でも、達成感によって「満足」できることもあるはずです。

 

つまり、幸せかどうかを考える上で本当に大切なのは自分にどれだけ「満足」する瞬間があるかです。

自分が満ち足りていると感じられる場所が、自分基準の「幸せ」の地

満足できる時間、満足する瞬間が多いものほど、自分にとって魅力的で、幸せを作り上げてくれるものです。この時の幸せは、他人とっては何てこともない、恵まれているとも思えないことである場合もあるでしょう。それでも、自分にとっての満足は、考えることもなく自動的に感じるものなので、消すことはできません。

 

反対に、いくら他人にあなたは幸せだと言われても、「満足」できる時間が一日のうちにほとんどないような人生なのであれば、それは全く幸せとは言えないということです。

 

「満たされる」瞬間を思い浮かべてみてください。あまり意識したことのない人は、自分が「満足」する時を、「満たされた」時を、あ、満たされてるなと感じ、それがどんな時かしっかり意識してみてください。

 

その瞬間が多い場所こそが、自分のための居場所です。

 

夢を追いかけている人、他人から見て無駄な努力と思われることをしている人はよく、「この人は不幸まっしぐらだな」という顔を他人からされることがあります。

 

その道のプロという人に、ダメ出しをされることもあります。

 

ですが、どんなことがあっても、自分が満足できる瞬間のあることは、続けていくことができます。そして、いつかは自分が思い描く「満足する形」を掴むことができます。

 

一般的でない道を選ぶ人や、他人の常識と異なることをする人は、「どうせ不幸になる」と、呆れられることがありますが、自分にとっての満ち足りた時間が他人とは違う道であるのなら、違う道を行けば良いのです。

 

概念的な「幸せ」に縛られている人は、常に恵まれていない人を探しています。恵まれていない人がいなければ、自分が幸せになれないからです。

 

幸せを比較するものだと認識している人は、恵まれていない人を見つけて、かわいそう、不幸だ、気の毒にと思い、「自分は幸せな方だ」と考えます。しかしそうした考え方が染みついてしまうと、不幸な人を探さないではいられなくなります。

 

自分の人生で満足している人は、「他人がどんな人生を歩んでいるか」についてそれほど興味を持ちません。友人や知人が元気でいるかといったことは気にしても、その人が置かれている状況に対して勝手に不幸だ、幸せだという判断はしません。

 

もちろん、友人や知人が「今大変で」と相談をしてきたのであれば、真摯に向き合うことが大切ですが、どんな状況であれ、当人が楽しそうであればそれはよかったと考えるのが、自分の人生に「満足している」人です。

 

満足する人生というのは、決して楽することでも、快楽を求めることでもありません。食べ過ぎればお腹を壊すし、楽をし過ぎれば後で苦労する可能性が高いことを考えれば、適度な満足を積み重ねること、苦労の中にも満ち足りた時間が散りばめられている仕事を選ぶことが大切だと気づきます。

幸せな人生より、自分が満足できる瞬間が多い道を選ぶことが大切

人よりも恵まれた人生という意味が含まれている幸せという言葉によって自分の人生を測ってしまうと、他者と比較することで苦しい思いをすることになります。

 

そうではなく、自分自身が「満ち足りる」ことこそが大切なことだと知り、今の自分にとって満ち足りた時間はどんな時か、これからどんなことをすると満ち足りるだろうかと考えると、人と比べないで自分に集中できるようになります。

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