いじめ・ハラスメントは「集団」の中でエスカレートしやすくなる

いじめ ハラスメント エスカレート悩み・疑問
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集団が生み出す「法律」がいじめ・ハラスメントをエスカレートさせる

集団は、各々一つの国になり、独自の規則・罰則を生み出しやすい

学校や職場といった“集団”においては、時間が経つにつれて独自のルールや習慣が出来上がっていることがあります。

 

学校であれば、ごく少数の限られた人しか入ってはいけない場所があるとか、特定の話題を笑って楽しめない人間は「変人だ」とか、ある程度決められた枠組みができていきます。職場でも、コーヒーを飲まない人も含めて誰もがコーヒー代が徴収されるシステムが生まれたり、集団の全員に対して誕生日を祝う決まりがあったりします。こうしたルールや罰則は、誰かが始めたことがいつの間にか定着したり、意見が通りやすい、いわゆる「声の大きい人」が居て、その人の指示に従うのが当たり前になってしまったというケースがあります。

 

毎月10万円徴収されるとか、全員強制でフルマラソンをするといった極端なものであれば、当然周囲の反発に合うのでルールになりにくいですが、それが誰かにとっては実際にメリットがあることや、そのルールが気に入らない人でも何とか許容できる範囲内にある事柄はルール化されやすく、それを終わらせることが難しくなります。

 

実際に心の中では賛成していないことにも、人は賛成することができます。空気を読んで行動する場合、周囲の状況に合わせるといった場合には、本心では同調していない場合もあります。ただ、うわべだけであっても、集団に対して同調している方が楽だと思っている場合や、そこまで大したロスではないからいいか、と集団のルールを受け入れていると、規則や罰則が強化されていく場合があり、その後規則が厳しくなるほどに、その規則を取り除くのが難しくなります。

 

こうして、内心はルールに反対の立場にある人がたくさんいる場合でも、「集団」の中で規則が強化されていく状況下に置かれると、人は反対意見を言えない、または言いづらくなっていきます。

 

特に、①ルールに反対しないことでお金をもらえる場合や、②先生や先輩、上司といった目上の人の命令である場合、③法律や権力者による指令の場合、④専門家による指導の場合、⑤嫌われたくない相手に賛同を求められた場合などには、「決められたルール」に反抗するには相当なエネルギーが必要となり、多くの人が、本心ではそう思っていなくてもルールに従うようになってしまいます。

規則が強化されるほど、規則を破る人に対する罰則は強くなっていく

暗黙のルールを破る人や、みんなで作り上げていると感じている雰囲気を壊す人がいると、その人はいじめのターゲットになりやすくなりますが、同調者たちに「反発するより同調している方がまだ楽」という気持ちがあると、いじめはエスカレートしやすくなります。

 

ハラスメントも、「反発する方が面倒だ」と感じたり、「この程度で騒いだと言われたらどうしよう」と悩んでしまい、軽く笑ってごまかすなど、相手に「不快だ」というメッセージを伝えないほどにエスカレートしやすいですが、それに加えて、集団内でハラスメントが許容されてしまうと、ますますハラスメントがエスカレートします。

 

放置された集団独自のルールや、集団特有の考え方は、いつの間にか集団の中の「法律」のように機能し、「法律」を破る人間は罰するという、いじめのエスカレートにつながります。また、ハラスメントについては、それが行いやすい環境を放置してしまうことで、「ハラスメントをされる側に問題がある」という空気まで作り上げてしまうことがあります。

 

パワハラ、マタハラ、セクハラなど、立場を利用した一種のいじめであるハラスメントは、集団の空気によって左右されやすく、性格・性別・環境・立場などによって生じる様々な出来事に対して許容範囲が広く、受け入れることができる環境でない場合、許容範囲の狭さから、ハラスメントが助長していきます。

 

特に、パワハラやマタハラといった立場によるハラスメントは、許容範囲が大きく影響します。「いつもと違うこと」が発生したり、「自分がエネルギーを注いで片付けなくてはならないこと」が発生すると、人は不安を感じたり、面倒だと思うようになります。そして、そうした「いつもと違うこと」が受け入れられない人が多い集団になると、今までと違うことをする人を法律違反のように感じ、違反者として罰しようという気持ちが強くなります。

 

セクハラや、モラハラなどは、集団よりも個人間で起きやすいものですが、これらもまた、許容範囲の問題が影響しています。相手が、自分をどれだけ許容できるかというのを試すことで起こりやすいハラスメントだからです。セクハラやモラハラについて、「これくらい当たり前」と強要するのは、自分を優位に立たせたい気持ちがあるからであり、相手が自分より格下であるという確信を相手が持ってしまうと、その傾向はより強くなっていきます。しかし、こうした個人間で起きやすいハラスメントも、集団の力は大きく影響します。周囲がモラハラやセクハラを、「その程度のことは当たり前」と捉えるような場では、当然エスカレートしていきます。

法律が正義に変わると、さらに意見は極化し、歯止めが効かなくなる

そもそも、集団というのは意見が極端になりやすいものです。民主主義のような多くの人の意見が反映される政治では極化が起こりにくいというイメージがある人もいると思いますが、ヒトラー政権を生み出したのは民主主義です。

 

集団であれば、多様な意見が生まれて、意見が偏ることはないというのは誤解であり、集団では、「声の小さい人」「意見を言うのが苦手な人」の考えは埋もれて消えていきます。そして、「声が大きく、意見が強い人」の考えに同調する人が増え、それが例え過半数でなくても正当な集団の意見として通ってしまいます。

 

クラスで問題が起きた時、「自分は何もしていないのに、どうして自分まで加害者にされるのか」と思うこともあるかも知れません。しかし、「1年1組」のように、集団として一度名前を与えられると、集団の中のトラブルには、全ての集団を構成する人たちが関わっているように人は感じます。

 

反対意見が言えるような空気ではなかったり、反対意見を言えば自分がいじめのターゲットにされるというような不安を覚える場合、その集団の空気はすでに「いじめがエスカレートする」状況にあります。この場合には、第三者の介入なく問題が解決することは難しいでしょう。

 

ただし、集団というのは、誰もが意見を交わせるような集団の方が特殊です。一人、二人を相手になら話ができる人も、集団相手に意見を言うのは難しいものです。「相手にどう思われるか」だけでなく、そこにいる全ての人にどう思われるのかを気にしなければならず、さらに、あちこちで発生する無数の化学反応に気を配らなくてはならないからです。こうして、集団ではある特定の意見ばかりが強くなり、そのうちに「反対意見を言わせない空気」が作られていきます。

 

服装の規定や髪型、おしゃれの程度、喋り方、関心のある物事などが、少しずつ集団の中で規定されていき、そこから大きく外れた意見や考え方は、集団には存在しないものとして無視されるようになります。

 

職場も、集団の中で意見が固定されていく傾向にあるのは上記の通りですが、それに加えて、それぞれの立場が明確に決められていることから、ハラスメントの傾向が強まっていく場合があります。

 

こうした中で、いじめやハラスメントの対象に選ばれてしまう人や、学校や職場の空気に耐えきれずにストレスを抱えてしまう人は、「集団と意見が違うことを強く感じている人」であっったり、集団が独自で決めたルールを「何らかの理由で守ることができない人」であったり、内心では嫌だと感じている集団のルールに、「いやいや従わざるを得ない人」たちです。

 

特に、もめごとが苦手な人、強い言葉で相手に伝えるのが苦手な人は、いじめがある環境では板挟みの立場に置かれることが多く、ハラスメントではターゲットにされることも多くなります。それは、「優しい」からであり、「相手の意見を聞いて相手を理解しよう」と努めてしまうからですが、そのせいで生きるのが辛くなることもあります。

いじめ・ハラスメントをエスカレートさせないためには勇気を持つことも大切

いじめが起こる環境では、ごく一部の人々が集団の意見を代弁していることが多くなりますが、周囲がいじめが起こっている状況を解決するのが「面倒だ」と感じている場合にもいじめは加速していきます。

 

どうしても集団の空気になじめない人や、集団の中で起きているいじめに耐えられないという人が、勇気を持って先生や保護者に相談したり、外部の機関に相談することは、集団の中で極化して生まれた独自の法律を壊す手助けになります。

 

ですが、誰もが「無関心」を決め込んでしまうと、いじめはとどまるところを知らずにエスカレートするばかりです。

 

これは、職場や趣味の場といった他の集団でも同じで、「無関心を装う」ことが、何よりもその場の空気を極化させる原因となります。なぜなら、意見の強い人々は、「無関心」を装い反抗しない人は自分たちを支持していると解釈するからです。

 

しかし、反対意見を言ったり、トラブルを解決するために外部の人を入れれば、集団の中で極端な意見に偏っていた人々は反発するし、自分を正当化しようとするため、面倒に巻き込まれることは確かです。

 

ただ、一度風穴を開けてしまえば、集団の中に、同じ意見を持っていた人が多くいるということに気づく場合もあります。そうなれば、自分が「みんなそうだ」と感じている「みんな」とは、実はそんなに多くの人ではなかったということに気づくことができますし、面倒なこと、を多くの人で分担することができます。

 

パワハラやセクハラといったハラスメントに苦しんでいる人の中には、「自分ばかり」と感じている人もいると思いますが、もしもあなたが周りの人から「優しい人」「静かな人」だと思われているのであれば、その性格がハラスメントをエスカレートさせている可能性もあります。

 

パワハラやセクハラ、モラハラは、「しやすい人」がいます。それは、相手の気持ちを汲み取ることが苦手で、自分のことばかり優先する考えを持っている人たちです。根が優しい人ほど、「どうしてこんなに他人の気持ちが分からない人がいるのか」を理解するのが難しいものですが、こうした人は、はっきりと「嫌だ」と言われない限り、自分のしていることに問題があるとすら思わない人たちです。

 

「辞めて下さい」とはっきりと伝えることで、相手がはじめて自分は悪いことをしていたんだと気づいて、そうした行為を辞めてくれる場合もあります。しかし、本人にはどうしても直接言えない場合もあるはずです。怖い、と感じる場合には、とにかく話せそうな相手で良いので、何よりもまず、勇気を持って誰かに本当の気持ちを伝えることが、エスカレートしてしまったいじめやハラスメントを止める一歩です。

 

最悪なケースでは、相談した相手も集団の意見に染まっていて、苦しんでいる人の味方になってくれないという場合があります。もっと最悪なケースでは、次に相談した相手も同じような意見の持ち主だったということもあるでしょう。それでも、あきらめてはいけません。自分が辛いと感じる、間違っていると感じることがあれば、味方が見つかるまで探して、悪い空気を変える準備をしましょう。

 

ただ、自分がいじめの被害者であったり、ハラスメントの被害者である場合に、同じ集団の中ではもう頑張れないという場合もあるでしょう。そうした場合は、転校やフリースクール、転職も含めてその場を「逃げる」ことも大切です。

 

仕事は、集団の中でないとできないものばかりではありません。自分の向き不向きを見極めて、自分が楽しめることで生きていければ良いので、偶然自分が見を置くことになったたった一つの集団に合わせる必要は全くありません。同じように、どうしても特定の人物からのパワハラ・モラハラ・セクハラに困るという場合には、その人から逃げて下さい。

 

意見が通りやすい人、表現力が優れている人の中に「悪人」がいる場合、どうしても集団は悪い方向に向かいやすくなります。戦うことで自分の経験値を上げるという方法を選ぶこともできますが、ゆっくりと集団内で意見が良いやすい環境を作る工夫をしたり、どうしても無理なら逃げる選択をするなど、その時の状況によって自分が取るべき道を選ぶことが大切です。

 

ただ、いじめやハラスメントがエスカレートしてしまう背景には、集団の中にいる多くの人々がただの「傍観者」になっているという事実もあります。状況を変えたいと心から願い、発言しない人、発言できなくなっている人たちを味方に付けることで、より良い環境、より良い集団づくりに繋げることができます。できるだけ、自分が所属する集団を過ごしやすい集団にし、毎日穏やかに過ごせるようにしていきましょう。

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