周囲に合わせるのが苦手な人は自分のコアとなる部分を決めよう
悩みの全ては社会という共同体の中から生まれている
周囲と合わない、自分が人と違うと感じる人の多くは、学校や職場などの人が集う場所に通うのが苦手、パーティーなどのイベント前には心が塞ぐといった、他人との接触の場を好まない傾向があります。
他者が苦手ということは、共同体としての社会が苦手ということです。
心理学者で医師であったアルフレッド・アドラーは、こうした周囲に合わせられない思考を持つ人には、共同体感覚がないと言い、共同体感覚を身につけることこそが生きづらさを解消するための手段だと書き残しています。
自分以外の他人が1人でもいる状況は、社会です。つまり、私、以外の誰かを認識した時点からが社会になりますが、通常、私たちが生きている社会というのは、民族が同じであったり、文化背景が同じであったり、または、同じであろうと互いに努力して生活する集団のことを指していることが多いでしょう。
周りに溶け込めないと感じる人の多くは、小さな頃からある種の疎外感を感じて育っていたり、病気をしたことがある、家庭環境が上手く行っていないなど、コミュニケーション上の不具合が生じる可能性の高い環境で育っている事が多くなります。
どんなにコミュニケーションに長けた人間でも、本音を話せるほどに信頼し合える関係にある人間は少ないものです。それを考えれば、周りと上手くやれる、というのは、本音でぶつかり合える人が増えるというよりは、共同体の中で浮かない程度に上手く人間関係を保てること、それも、自分が疲弊するような、心がすり減るような努力をしなくても、そうした人間関係を保てるスキルがある状態のことを指します。
周囲と上手くやれない、と考えている人、自分はどこか浮いてしまうと悩んでいる人の多くは、他人が自然にできているように見えることを、できない、もしくはやるととても疲れてしまう状態にある人です。
自分にとっては興味の無いつまらない話題で周囲がやたら楽しそうに盛り上がっていると感じることが多かったり、雑談に入ることができずに黙ってしまったり、どうにか会話に入れても、後になってどっと疲れたり。
周囲と違うというのは、自分らしくいられる場がないと感じることが多いということです。
周囲に溶け込めない自分を、自分が作っている可能性も考える
アドラーの著作を読んでみると、周囲に溶け込むことができない人への辛辣な描写を見ることができます。これは言い過ぎではないかと思うほどに、周りに溶け込むことのできない人や、自分を特別視しがちな人には共同体感覚が足りていないのだと断言します。
子供の頃に甘やかされた人や、自分が特別だと思い込んでいる人、病気を持っている人などは、自分を特別に扱ってもらおうとするために、こうした、周囲に溶け込めない自分を演出することがある、とアドラーは言いました。
他人と上手くいかない時、私たちの身体には胃腸の病気や、神経症などが出ることがありますが、アドラーにしてみれば、これらは、私たちが他人の気を引くために、または、自分が他人に合わせる面倒をしなくていいようにかわいそうな自分を演出するための症状だと言うことです。
見方を変えれば、そうした要素が完全にないとは否定できないかも知れませんが、誰も、周囲と合わせられない自分、他の人のようには振る舞えない自分を正当化するために、積極的に体調を悪くしようという意志をはたらかせてはいないでしょう。
私たちのほとんどが、他人とは違う、と感じることはできても、自分はどういう人間なのかを説明することはできません。周囲に合わせられない自分がなぜそうなのかを論理的に説明できる人はほとんどいないという事です。
他の人が自然にやれること、疑問を感じずにできることが上手にできない人は、あらゆる所で止まって考えてしまう人であったり、なぜそれをそうしなければならないのかの自分にとっての正当な理由がない限り、理由のない事はしたくない人であったりします。
分数の割り算が、なぜひっくり返して掛けるのかを理解できない限り、ひっくり返して掛けたくはないという人は、注意が必要です。
私たちには、理由が分からなくとも、そのやり方が説明できなくとも、自然とやっていることがたくさんあります。
呼吸をすること、歩くこと、スマホを使うこと。
自然になじみやすいことであれば、理由などなくても、仕組みなど知らなくてもできるのものなのです。それができないということは、そこに不自然さや不快な思いを感じているからです。
ではなぜ不自然さや不快な思いを感じるのでしょうか。・・・・・・それは、実は、自分が本当にそう思っているからではない可能性もあります。
親や教師、その他の影響力の強い相手や漫画、本などからの言葉の影響を受けたり、「こうはなりたくない」と思う他人の影響を受けて、私たちは出来上がっていきます。
私という存在は、実は、他人から受けた影響の塊であり、自分自身が真に0から作り上げたものなどほとんどないかも知れないのです。
つまり、自分で思っている以上に、強い誰かの影響で、他人と上手くやれない自分が出来上がっている可能性があるという事です。
絶対に譲れないコアなものだけ決めたら、後は手放そう
本当の自分はどこにあり、何を思っているのか、自分で確信できることはそうありません。よくよく考えてみたら、自分の考え方は母親の影響を受けすぎているといった事があるかも知れません。
そこで、自分にはどうしても我慢ならない、譲れないことだけを決定します。
例えば、自分には何かになりたいという夢があるとして、その夢を馬鹿にされたり、邪魔されたりしたら許さないけれど、それ以外はどうでも良いことにする、などです。
周囲となじめない人の多くは、他人のささいな会話や雑談の中に不快さを感じていることがあります。自分の信念と違うことを話しているのが嫌である場合や、噂話自体が好きでない場合もあるでしょう。しかし、自分がどうしても譲れないコアな部分を知らずに、自分とはこういう人間だという範囲を無駄に広くしてしまうと、あらゆることを不快に感じてしまいます。
他者のいる世界の中でしか成功も幸せも存在しません。
周りと合わないという事実は、もしかしたら一生変えられないかも知れません。ただ、周りに合わせるスキルを上達させ、周りに合わせても疲れない自分や、周囲と関わる状況からプラスになる何かを受け取れる自分になることはできます。
成功や、安定、幸せといった、人生を良い状態へ向かわせるためには、共同体である社会は不可欠です。自分を認めてくれる人がいるのは、必ず社会の中ですし、自分と足並みを合わせて歩むパートナーや、切磋琢磨する仲間、安心できる家族もまた、社会の一員だからです。
つまり、社会の中でうまくやるスキルがなければ、幸せや安定、成功といったものが手に入らなくなるということです。
ただ、ここで誤解をしないで欲しいのは、他人と同じようになることが周りに合わせることではないということです。多くの成功者や、自分なりの幸せを見つけた人は、自分のコアな部分で譲れないことを知り、それ以外の事はどこまででも他人に譲ること、合わせること、他人を理解することで成功を掴んできているからです。
周りに合わせるスキルを身につけるということは、自分を幸せにするための方法でもあるということです。起業するためにお金を調達する場合でも、パートナーと幸せな時間を共有するためでも、他人が認めるだけの技術や力を発揮するためにも、コミュニケーション能力は大切なスキルとなります。
そこに幸せを見出せなくても、雑談や噂話に何のメリットも感じなくても、周囲となじんでいると思って貰うことで得られるものが、他者からの信頼であったり、未来へ繋がる投資であると気付くことができれば、勉強を頑張るように、仕事を頑張るように、他人に合わせるスキルを磨くことに意義があると思えるのではないでしょうか。
絶対に譲れない部分は摩擦を生む。譲れる部分は調和を生む
アドラー心理学を元にした『嫌われる勇気』という本が人気ですが、嫌われる勇気の元には、絶対に譲れない部分があれば、必ず自分を嫌う人間が出てくるという意味があります。
例えばパートナーの悪口は絶対に受け入れないなどという思いがある場合、雑談の場で「冗談も通じない奴だな」と喧嘩になることもあるかも知れません。このように、譲れない部分、すぐにカッとなるほどに怒りを感じる部分は、自分にとってとても大切な何かがある部分です。
けれど、このコアな部分となる自分が譲れない部分は、なるべく少なくすることが大切です。いくつかの大切なことを決めたら、後は全て、相手に譲ると決めるのです。すると、たいていの事に怒りを感じなくなりますし、相手の雑談にも、相手が話したい時間なのだと付き合うことができます。
そうして、譲る部分が増えるほどに、相手とのスムーズな関係ができ、物事を円滑に運ぶための土台を作ることができます。もちろん、何もかも全てを譲るコアな部分のない人間になってしまうと、誰からも嫌われないけれど、好かれることもない人間になってしまうため、自分を形作るための核だけはきちんと持たなければなりません。
周囲に合わせられないと悩む人は、核の中に自分の譲れないものを詰め込みすぎている可能性があります。自分がない人ほど、話を合わせるのが上手だったりするのは、この核の部分がからっぽだからこそです。
そこまで極端では、それはそれで問題ですが、周りと合わないと悩む人は、合わせるスキルを学ぶチャンスと思い、自分のコアな部分はどこかを見つめなおしてみると良いでしょう。
集団生活には向き不向きがある。無理に自分を変える必要はない
インターネットが普及して、在宅ワークも可能な現在の社会では、多様な働き方や、生活スタイルを持つことができます。自分の心をねじ曲げてまで生活そのものを他者に合わせる必要はありません。
集団が得意でない状態で育った人が、人と関わることが多い仕事に就くのは不毛とも言えます。ただ、ある程度は、苦手なこともできた方が、人生で得する場面が増えることは確かです。人と会話をする能力を高めることは、あらゆる場面で役に立つでしょう。
毎週末イベントに参加しなくては落ち着かない人もいれば、人混みのある場所に行くのは年に1度で十分という人もいます。この場合、どちらにも正解や不正解はありません。大人になれば、生活できていればライフスタイルはどうであれ何でもOKということにもなります。
ただ、周囲から浮いてしまうと悩んでいる人ほど、他の人にはできない夢中になれる何か、没頭できる性質や集中力を持っている場合があります。それらの執念を燃やせることを社会に認めてもらえるようになるためにも、相手に合わせるというスキルは身につけておいて損はないという事を知っておくと、心が楽になるのではないでしょうか。