コンプレックスを克服・解消して〝なりたい自分〟になる方法

コンプレックス 克服 解消 人生を変える思考法
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コンプレックスを利用すれば目標を達成して成りたい自分を実現できる

自分が劣っているという感覚を隠そうとするほど優越感を生み出すことに注意

人には、自分が劣ると感じているものほど隠そうとしてしまう習性があります。

コンプレックスを感じている部分の話題にはついつい大きく反応してしまうけれど、普段はまるで気にしていない素振りをする。これは、ごく自然な反応です。けれど、隠していながらも、自分が劣ると感じている部分は気になって仕方がないものです。

 

コンプレックスとは、普段は意識の下に抑圧されていながらも、現実の行動に影響を与えてしまうものの事を言います。

 

例えば、学歴コンプレックスのある人は、そんなものはないような素振りを見せているのに、学歴が話題になる会話の最中などには、途端に機嫌を悪くして場の空気を乱してしまうなど、現実の行動に影響を与えます。

 

人が劣等感を見せないようにするのは、それが、他人より自分は劣っているという弱さの表れで、見つけられたら恥ずかしいものだと感じているからです。

 

けれど、劣等感を隠そうという行為は、大変無駄なエネルギーを消耗する事になります。

 

劣等感を解消するより、ただ隠そうとすることに必死になってしまうと、本来なら解消のために使えるエネルギーを全て、劣等感を隠すために使用することになります。中には、上手に劣等感を隠すために、優越感を利用して、自分は優れているのだと見せるためにエネルギーを使う人もいます。

 

例えば、学歴コンプレックスを抱えていることを知られたくないために、自分がいかに優れているのかを自慢してみたり、学歴に何の意味もないことを強調してみたり、相手の言葉尻を捕まえて、相手に悪気がないにもかかわらず、「馬鹿にした」と突っかかったりと、人間関係に不和を生む要因を作ってしまう場合があります。

 

あまりにもコンプレックスが強いと、意識の奥深くにまでコンプレックスがあるという事実を潜らせてしまうために、他人が指摘をしても、「コンプレックスなどない」と言い切るようになってしまうこともあります。

劣等感は押さえ込まずに、道具として使えることに気付こう

劣等感を押さえ込むとコンプレックスになりますが、劣等感は、人生をプラスにするための原動力として使うこともできます

 

コンプレックスを抱え込んでいる人の多くは劣等感を上手に使うことができず、抑え込んで隠すことばかりに必死になってしまいます。そうすると、自分が少しでも劣っていると感じるような出来事や、困難にぶつかるとすぐに怒り出すくせが付きます。

 

さらに、劣等感の原因の多くを、生まれ育った環境や、生まれ付きのせいにしてしまいます。これは、フロイト的な原因論と呼ばれるものですが、多くの人が、自分がうまくいかない原因を過去の出来事に求めたことがあるはずです

 

例えば、両親が自分に感心がなかった場合、余程勉強が好きでもなき限り、勉学に優れた人間になることは難しいかも知れません。子供時代は、環境によって大きく人生を左右されますし、これは後の人生にも響いてくることは確かです。ただ、この原因論が人生の全てであるとしてしまうと、常に悪いのは環境や他人になってしまい、自分を変えるきっかけを見失ってしまいます

 

コンプレックスばかりが溜まり、困難に取り組む姿勢は育まれず、自分がダメなのは、出会った人や環境のせいだと思って生き続けながら、人間関係を、ますます上手くいかない方向へと進めてしまいます。

 

遺伝を原因とするのも、同じ原因論による考え方です。遺伝で決まっているから自分はこうなんだと思い込むのは、原因論から抜け出せない思考を作り上げてしまいます。

 

脳は、電気信号の回路でできています。一度考え方のくせが付くと、なかなかそれを変えることが難しくなります。しかし、自分の回路を「こういう方向に変えよう」と意志を持って取り組むと、新しい回路が出来上がり、困難から逃げるくせを、困難に立ち向かう思考回路に変えることができるのです。

全ては考え方次第。999回の失敗と思うか、999回の経験と思うか

ほとんどの偉人と呼ばれる人々が失敗を経験しています。特に、実験を重ねて成功を導き出すような研究系の分野では、失敗というのは、無くてはならないものでさえあります。この場合、失敗は、1つの貴重な研究の成果として取り扱われます。

 

学歴コンプレックスの例で言えば、中卒のずば抜けた経営者が大勢いるように、実は、希代の経営者になるのであれば、学歴よりも発想力や行動力の方が重要であることが多く、学歴が人生の成功を約束する訳ではないというのは本当の事です。

 

つまり、学歴でコンプレックスを抱えている人の多くは、本当の意味で「学歴は必要がない」という人生は歩んでいないということです。学歴にコンプレックスがある時点で、むしろ、学歴を重視している人なのです。

 

学歴は、多くの場合、『稼げる力』を意味しています。年収1億の中卒と、年収1千万の大卒の人がいて、年収1億の人が大卒の人にコンプレックスを抱くとは考え辛いですし、もしも学歴が欲しいと思えば、お金を使って今からでも大学に行くでしょう。けれど、生活の上では、使えきれないほどのお金を持っているのだとすれば、学歴など意味が無いはずです。(勉強をすることには意味はあるかもしれませんが、それに対する証明書を求める必要は無いということです)

 

結局のところ、学歴=稼ぐ力という考え方があり、今、自分が思うようには稼げていない人が、過去に勉強ができなかったせいだと思い込んでいるというのが学歴コンプレックスの正体であることが多いのです。

 

その他のコンプレックスも、多くの場合は、コンプレックスを克服する方法が見つからなかったり、コンプレックスを克服する労力が面倒で言い訳に使うために起こっている事があります。

劣等性を武器にする人。劣等感を言い訳にすると、人は優位に立てる

「私無理です~。できないから、やって下さい」

多くの人が、「できない」と言われると、できないのなら仕方がないから自分がやろうか、という気になるのではないでしょうか。

 

人間関係の多くは、実際にその人ができる人なのか、できない人なのかという事に関わらず、相手の優位性で動いている面があります。

 

ブラック企業であっても、人々が限界まで経営者や上司の指示に従うのは、相手に優位性があると内心認めているからです。もちろん、限界が来れば人は劣位にあることを保たなくてはならない人間関係や、場所から離れていきます。

 

ただ、多くの劣等感を逆手に取って利用している人、それも、ほとんど無意識でそれを行っている人は、優位性を劣等感から生み出しています。そして、そのせいで、相手が離れていってしまうなど、人間関係が上手くいかなくなることがあるのです。

 

兄弟のうち、兄が優秀で、弟がそれに及ばない場合、多くの場合で弟はコンプレックスを抱いて生きていきます。両親が、優劣に関わらず弟をかわいがる、または、兄も、弟をとても大切に扱うなどの特殊な環境を除いて、ほとんどの場合で、両親は兄を余計にかわいがり、兄自身は、多少弟を見下して育つものです。

 

こうなると、弟は、どんな手に出れば自分を優位に立たせることができるか悩み始めます。ほとんど無意識にですが、結果的には、自分をハンデのある人間だと思わせることで、弟は兄より優位に立とうとするでしょう。

 

できないことがあれば、部屋で大暴れして物を壊してみたり、神経を患っているからできなくても仕方が無いと喚いたり、「やっかいな人間」になることで、敢えて周りの注目を集めようとします。

 

この時、家族や友人は、弟に対する評価を大きく下げていきますが、しかし、弟をなだめるためだけに褒めたり、ほんの少しでも、普段よりマシな行動をしている時には、感心してみせたりするようになります。

 

すると、弟は自分のできる範囲を広げる努力より、ただ人の注目を集めたり、自分に同情を向けるため、ダメな自分を演じるために時間を使うようになります。

 

こうして、弟は、努力すれば兄と同等か、それ以上の優秀さを手にするためにできる努力の時間を全て犠牲にして、自分をよりハンデのある人間に見せる努力に時間を使ってしまうのです。こうして、言い様のない不安や胸をしめつける苦しみ、身体中の痛みなどと引き替えにして、自分を有利な人間に見せる努力をし続けてしまいます。

成功までの道筋も、成功の形も千差万別であることを心に刻む

兄が優秀な理由は、もしかしたら、たまたま先に生まれていたから、かも知れません。兄は、その他の人々と大差ない能力だったものの、先に生まれて、両親が熱心なうちに教育され、それを吸収したために、同年代の子の中でも優秀な頭脳と身体能力が持てただけかも知れません。

 

さらに、弟は、兄に時間が割かれたため放任で育ったために、熱心に教育された他の子供と比べたら、勉強ができなかっただけかも知れませんし、もしかしたら、小さな頃には身体が弱く、勉強や運動の機会が奪われていたから、能力に劣っていたのかも知れません。

 

兄が5年かかった道を、弟が10年かけて歩むとしても、兄が5年目で努力を止めた場合には、11年目には弟は兄を追い抜きます。

 

一人一人の人の努力が、どの時点でどこまで達成できるのかを判断するのは難しいものです。

 

大学入試や資格の勉強である場合には、環境や集中力さえあれば、ある程度同じ期間で目標を達成できるかも知れませんが、それでも、環境や集中力を整えるための期間が人によって異なります。

 

さらに、芸術の世界や、研究の世界、個人の目標や目的によっては、ある人が1年で達成できるものが、ある人には20年かかることもあります。けれど、20年もかかったからダメだという事はなく、20年かけて達成した人は、それだけの時間を要したからこそ、その後は軽々と、困難な道を克服できる事もあるのです。

もし〇〇だったら、が口癖の人は劣等感に支配されている可能性がある

 

「もし~だったら、~していたのに」

 

これは、良く使われる言葉ではありますが、「晴れていたらディズニーランドに行ったのに」というような使われ方ではなく、「もし相手に邪魔されなければ、成功していたのに」というような、他者のせいで自分はこうなっているという表現に使っている場合、それは、自分がコンプレックスの元である劣等感を優位性に使っている証拠です。

 

こうした言い方をする背景には、「負けたくない」という思いがあります。徹底的に敗北して、自分が剥き出しの劣等感の塊になるのが、怖いのです。

 

アドラー心理学の中では、神経症や不安による頭痛やイライラなどの症状は、劣等感を隠すことが難しくなり、緊張状態になるためにホルモンが過剰に出るなどして起こるとされています。

 

キャリアを手に入れている人が、結婚の破綻や、仕事を辞めざるを得なくなるなどして持っているものを失うと、こうした不安症状は大きく出現し、身体を蝕むことがあります。

 

それは、負けてしまった、と感じることで、大きく劣等感が外側に出てくるからです。

 

人生の「負け」の基準は、成功の基準と同じく人それぞれです。

 

穏やかに日々を暮らすことができれば、他者に評価されることのない仕事や生活環境に「負け」ではなく「幸せ」と感じる人がいる一方、どんなキャリアを手に入れていても、大きな屋敷に住んでいても、レストランで店員の対応が気に入らないだけで、「負けた」と感じて怒り出す人がいます。

 

しかし、失敗することや、敗北することにばかり目を向けた人生を歩むと、幸せを感じる機能は鈍り、人生の目的を「正体の分からない敵に勝つため」に設定してしまい、常に、臨戦態勢で勝ち負けを争いながら、不安と緊張に怯えて暮らすことになります。

 

こうした時に、身体の中から生み出される神経症状は全て本物です。感情が作り出されたものであったとしても、その痛みや苦しみは本物なので、うつ病や精神障害と判断されるでしょう。

 

軽い頭痛や暗く落ち込む気持ちなどの全てが、例えば自分を守るため、劣等感を隠すために作り出されたものであっても、それが与える痛みは本物になるという事です。

 

ここまでの流れを見ると、劣等感を深く押し込め、コンプレックスに蓋をして優位に立とうとすることで、結果的に自分を苦しめるのだとしたら、その分のエネルギーはもっと別のことに使う方が、賢明なことに、気付くはずです。

自分が避けている課題に取り組もう

「もし~だったら」という気持ちを抱えている人の多くには、現実に取り組める課題があることが多いものです。

 

特に、勉強や運動といった、実践によって必ず結果が付いてくるものについては、一番のハードルは、やる気を出すところだけで、やる気を持って取り組んでいれば必ず結果が付いてきます。

 

なかなか痩せられないと嘆いている人が、実際に自分が食べているものを記録して食事の量を制限したり、走ったり、筋トレをしたりしても痩せられないということはあり得ません。実践すれば、絶対に結果がでます。

 

ただ、運動が苦手であったり、運動に喜びを感じない人が実践に持っていくまでの過程が何より大変なのです。

 

勉強をする時間が無い、やれる環境がないとぼやいている人が、本当は目標としている資格取得や大学・大学院の受験や留学などを先延ばしにしてしまうのも、やらなくちゃという差し迫った必要性がなかったり、その他の色々なことを言い訳にして、できない自分を正当化している方が楽だからです。

 

勉強も、すれば必ず結果は付いてきます。もちろん、人によってかかる時間は違います。効率性や要領を身につけるのにも時間がかかるからです。

 

けれど、やれば間違いなく結果はでます。

 

だからこそ、どうやってコンプレックスを克服するための、または、コンプレックスなどすっかり忘れさせるための努力ができるようになるかの工夫が大切なのです。

ライフスタイルを変えることでコンプレックスはバネになる

劣等感のある人は、それをバネとして利用することができます。成功者の多くは、何らかの劣等感を抱えていたことのある人がほとんどです。

 

コミュニケーションが上手に取れない人や、身体的な機能不全を持っている人、見た目にコンプレックスを抱えている人、勉強や手先の器用さなどの能力にコンプレックスがある人。

 

おそらく、コンプレックスがない人を見つけ出す方が難しいでしょう。

 

けれど、コンプレックスを抱えている部分だけが、バネとして機能します。赤面症や吃音などを抱えている人が、自分の表現力を磨くために俳優になったり、小説家になることもあります。

身体的な機能不全を持っている人が、それを克服するためにスポーツ選手になったり、使える感覚器官を研ぎ澄ませて芸術家になることもあります。

勉強や手先の器用さなどの能力のコンプレックスは、努力を重ねるうちに、ある時点で境界線を越え、他人が追いつけないほどに勉学に優れた人間や、発想力に優れた人間を生むこともあります。

 

「ありのまま」という言葉が流行ったこともあり、「何もできない自分もありのままでいい」という考え方が流布している部分がありますが、そもそも、ありのままでは人は、むしろ能力を失っていくということを知る必要があります。

 

歩くことも、話すことも、書くことも、やらないことを良しとしてしまうと、ゆっくりとではありますが、日々できなくなっていきます。

 

元々、「ありのまま」と訳された映画の原作の英語は「Let it go」であり、これは、解放してあげよう、という、抑え込まれていて隠していたものを、解き放ってあげようという意味です。

 

コンプレックスを抱えている人は、「そのままでいい」と本当に感じているのなら、「そのまま」の自分を解放すれば良く、そうではなく、「変わりたい」と感じている自分がいるのなら、「変わろうとする自分」を解放すべきということです。

 

弱い自分やできない自分を認めることは大切ですが、認めたまま、そのまま放置していても、自分自身が救われることはないでしょう。できないなりの進め方を見つけて、少しずつ努力を積み重ねた人は、未来に必ず何かを得ることができます。

コンプレックスの解放のためにできることをはじめよう

コンプレックスを解放するためには、何より一歩でも足を踏み出し、踏み出したら止まらずに歩き続けることが大切です。

 

勉強や習い事、運動などをはじめようと考えたら、紙にすべきことをまとめて書き出して、すぐにでも実行しましょう。そして、1日や2日で満足せずに、長く続けることを目標にして、1日のうちにやり過ぎないように注意します。

 

集中力維持のために、ストップウォッチを利用して、本当に運動している間だけ、本当に勉強している間だけストップウォッチを動かしてみると、自分の心がいかに自分に甘いかが見えてきます。

 

慣れないうちは、ライフスタイルに習慣化して努力の必要なことを入れることは大変です。けれど、一度習慣化すると、むしろ、その習慣を止める方に勇気がいるようになります。

 

動くこと。これが解決のための全てです。周りに八つ当たりしても、ひたすら落ち込んでも、物事を改善することはできません。ダメだと思うより、一歩でも進む方が、自分のイライラや苦しみから解放されるでしょう。

 

自分の一番の味方は、自分です。自分だけは、自分の一番の応援団として、どんな高い目標も夢も、必死に応援してあげましょう。

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